ノスタルジーと揺り戻し2023年10月03日 20:43

 変化が速い社会では、ついていけない人間が大勢生まれる。ついていくのに手一杯の人は、ついていけない人に手を差し伸べるゆとりもない。だからついていけないのは「自己責任」。しがみつかれてはたまらないので冷たくあしらうより他にない。

 ついていけない方も、別に能力が低いわけでも、自己責任を果たしていないと言うわけでもない人が多い。そういう人は自分たちを冷たくあしらう「エリート」に反感と憎悪を抱くようになる。

 ついていけない人は、憎悪の対象である「エリート」に目を向けることなく、過去の社会に安住しようとする。ノスタルジーはこの心性によって大きく増幅する。

 ノスタルジーは過去であり、地方や周辺部であり、失われつつあるものによって表象される。そして多くは過去の既得権益への執着や回帰、無批判な過去の美化へと暴走していく。「美しい〇〇」などと過去の事物や伝統的な事物について言い出したら、危険信号と考えていいだろう。すべてがそうだとは言わないが、安心できる言説とはいい難い。なぜなら「美しい」という感覚の定義がなされないことが多いからだ。「美しい」の厳格な定義とそれを導く厳密な思考は、そうそう簡単にできるものではない。美醜が表裏一体であることですら少なくない。

 考えてみれば、世界中どこでもノスタルジーの影には「男性天国」「力の正義」「権力を背景にした恣意」が必ず見え隠れしている。過去の社会がそうだったのだから当然だろう。文化・学術に背を向けるスポーツ界、前近代的興業システムによる支配体制をいまだに引きずる芸能界、権威主義によって閉塞していることにすら気づかない芸術界、既得権益と利権にがんじがらめの政界、ナンバーワン幻想に囚われて常軌を逸する世界政治、そしてそれらを陰日向に支える大勢の「ついていけない」有権者。

 変化はもう止めることはできない。ついていくしかない。それは100年以上も前に夏目漱石が喝破している。分断の現実と問題点を把握し、対策を考える「変化」もまた早急に求められている。休んでいる暇はなさそうだ。もう世界は、この国は、傷み始めているのだから。

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