「花咲ける騎士道」を観る2023年08月01日 22:00

 「花咲ける騎士道」を観る。1952年のフランス映画、監督はクリスチャン・ジャック、主演はジェラール・フィリップとジーナ・ロロブリジーダ。

 主人公のファンファンはちょっとC調でお調子者、それでもどこか憎めないプレイボーイ。剣の腕は立つのだが、所詮素人剣法の域。今日も村の若い娘と真っ昼間からイチャイチャしているところを娘の父親におさえられ、とうとう結婚させられるハメに。18世紀が舞台なので、男女が野外の農地の藁山で昼間からというのは、実は自然なこと。庶民の夜のベッドのシーツは南京虫だらけでとてもとてもというのが現実だったらしい。

 浮名を流し、結婚をすり抜けてきたファンファンだが、街に連れ戻されるとき、美しいジプシー娘から「王女と結婚する」と占われてすっかりその気に。街で徴兵募集の軍人を見つけて入隊して難を逃れるが、徴兵していた舞台の隊長の娘が実はさっきのジプシー娘。占いは真っ赤な嘘で、そうやって若い男を徴兵していたらしい。

 それでもファンファンはお構いなし。脳天気というかなんというか。本隊に連れて行かれる途中で盗賊に襲われる立派な馬車を助けたら、なんと馬車に乗っていたのはポンパドール婦人とアンリエット王女。ファンファン、すっかり王女と結婚できるものと信じ込んでしまう(当の王女はあまり相手にしていない)。ポンパドール夫人に気に入られたファンファン、直々にチューリップのアクセサリと二つ名を賜る。曰く、「ファンファン・ラ・チューリップ」。これより彼の通り名は「チューリップの騎士」となる。

 舞い上がるファンファンだが、それを見ていた隊長の娘のアドリーヌ、心中穏やかではない。どうやらファンファンが好きになってしまったようで…

 とまあ、こうしてあらすじを見ていると、お調子者で高嶺の花のお嬢様に熱を上げて舞い上がる世間知らずの若者という少年漫画(それもコメディ)王道パターンそのものだ。こういう空回り若者コメディは洋の東西、時を問わないのだろう。とにかく全編底抜けに明るいのだが、日本の映画にありがちなしらけるほどのバカバカしさ陥る手前で踏みとどまっている呼吸がいい。マンガチックにならず、かといってシリアスにもなりすぎす、そういうさじ加減はおしゃれだし、フランス映画のコメディ感覚は今でもそう言うとことを残しているように思える。

 ジェラール・フィリップはアラン・ドロンの前の世代のフランス二枚目俳優。軽くてC調の主人公を演じているが、いやらしさやバカバカしさを感じさせず、弱さも愚かさも併せ持った情熱的な若者を見事に演じている。一歩間違えばただの浮気なバカ男になる役を、きちんと共感できる存在に作り上げているのは実力のなせる技。実にクールで若々しい。日本で言えばちょっと若くてハンサムになったルパン三世か。ロロブリジーダもセクシーで美しい。女好きのファンファンが王女に熱を上げて冷たくあしらっているのが効いていて、これまた王道のボーイ・ミーツ・ガールのパターン。

 剣劇(というのが一番しっくりくる)が大時代的なのはいたしかたない。それでも当時の海外映画としてはアクション満載と言えるだろう。そこは時代劇ずれした日本人の目で観るのは可愛そう。なにせ70年代中盤のアメリカでも重たい棍棒を振り回すようなライト・セイバーの殺陣を描いて我々を鼻白ませたのだから(あのダース・ベイダーが当時の日本の時代劇に登場したら、資さんに張り飛ばされ・格さんにぶん殴られ・金さんに手ぬぐいで叩かれ・刀舟先生に「たたっ斬られ」・主水の旦那にブスッと斬られ・たっぷり罪状をさらされた挙句、桃太郎に「退治」され、天下の風来坊を名乗る上様に「正義」の鉄線で完膚なきまでに成敗されるに違いない)。

 全編、まさに痛快明朗。ラストのオチもちょっと気持ちよく驚かされる。ちなみに当時のフランス王はルイ15世…「シュヴァリエ」、デオン・ド・ボーモンの活躍した時期であったか!

デスクトップのパワーアンプ2023年08月02日 22:05

 デスクトップでPCやBDプレーヤーやVolumioを受けているパワーアンプが、ついにダウンしたかと思われた。

 パワーアンプはKENWOODのA-M70.小さくて安価なので、2台購入し、片チャンネルだけを使ってモノアンプとして使ってきた。しかし、なにせ1991年製の、メインストリームから離れたニッチ的製品(BOSE101を狙ったものだとも言われている)。もはや30年超えの歴戦の老戦士である。

 その2台のうちの一台が、いきなりボリュームを上げたと思ったら音割れ、数秒で元に戻ってはまた音割れを繰り返すようになった。ボリューム調整は効くので、入力スイッチと入力抵抗とが不調を起こしているらしい。バラして修理するにはちと老体すぎるような気もして、いよいよ2台共引退させるか(ちなみにもう一台もすでに片チャンネルはダウンしている)とも思ってみたが…

 エラーを起こしたのは左チャンネル。入力を右チャンネルに変更し、スピーカーも右チャンネルに再接続すると…見事に問題クリア。

 老戦士、まだまだ頑張ってくれそうだ。

バービー騒動に思うこと2023年08月03日 20:16

 バービー騒動でワーナーが謝罪した。

 厳密に言うと、「バービー」というコメディ映画と「オッペンハイマー」というシリアス映画が同時に公開され、両作をまとめて観せたい興業側と、今どきのSNSとがお互いに正帰還(つまり発振モード)して悪乗りした結果だ。「オッペンハイマー」というシリアス映画が描くのはもちろん、核兵器を生み出したあのオッペンハイマーであり、作品の本質からして核に対する重い苦悩が描かれると推察されるが、そこのところは完全にオミットしてしまい、「バービー」のコメディのりになってしまったようだ。

 当然、夏の日本のこの時期に核をコメディ的に扱って発信するのはかなりクリティカルな言動だし、それにワーナーアメリカ本社が「いいね」的なノリを返してしまったのでは、さすがに日本人の神経を逆なでする。日本ワーナーが本社に抗議するのは当然といえば当然。

 しかし、今回の騒動に限らず、ここ数年のアメリカ映画での「核」の扱いの酷さは目に余る。前作インディ・ジョーンズでも核爆発を過小評価した描写があったり、アメリカゴジラでも、核によるゴジラ復活という設定なのに、その破壊力はあまりにしょぼい描写であった。彼らは本当の「核」の恐怖をどうやら腑に落としきっていないようだ。「ターミネーター2」のようなショッキングな描写こそが本来の核の姿だということを、どうやらアメリカ大衆は忘れ果てているらしい。

 これほど怖いことがあるだろうか。日本での現実の被害の記憶も、生存者がときとともに鬼籍に入られてしまい、次第に風化してしまうのではないかと危惧されている。まして遠い他国の出来事であれば、風化する以前にあっというまにその現実は記号と化し、軽く扱われてしまいがちだ。あの第二次大戦の惨禍も、人類の多くが直接体験していない世代となった今、風化してしまっている。それは昨今の国際政治での前時代的支配者の台頭と大衆の支持の現実からも明らかだ。その点では、日本も人のことは言えた義理ではない。

 しかし、アメリカにはこの件では日本はガンガン抗議するべきだ。それも、「お前が悪い」ではなく、「お前たちがノリで言ってることは、現実のこんな惨劇を忘れていることを示しているのだ」と正しく伝え、理解を求める方向に。日本の戦後サブカルは、生硬で青臭かったとはいえ、ストレートに大人から子供に「戦争の惨禍」と「反戦」を伝えようとしていたし、その伝統はきちんと残されている(ちと首をひねるような作品も最近の話題作にはあるのだが…)。サブカルが伝わるのなら、その通奏低音としての思いも必ず伝わるはずだ。

 願わくは、楽しく「バービー」を観つつ、「オッペンハイマー」の苦悩とその成果の光と影も受け止めて観てもらえるのがいい。「バービー」を観たら、「オッペンハイマー」も観ようというアイディアは、決して悪いとは思えない。風化しつつある過去の惨禍に思いを馳せ、認識を新たにするきっかけになるのなら、コメディ映画冥利に尽きよう。

高校野球2023年08月04日 20:31

 今年もまた不愉快な季節がやってきた。高校野球だ。

 高校生を食い物にする連中が亡者のごとくへばりつく「青春の一ページ」。辟易することこの上ない。猫も杓子も「甲子園」。何でもかんでも「甲子園」。そうやって高校生をダシにする知恵のない大人たちの多いこと。野球に便乗する亡者まみれである。

 支配と隷属、無批判な盲信、自己犠牲という名で美化した搾取。別に日本の高校野球には限らないが、怖気を振るうシステムだ。

 近年はスポーツ界内部でも反旗を翻すケースもあるようだが、そのためには高校生(中学生もか)自身が隷属と支配の構造に気づき、自立する必要がある。そんな能力すら奪っているから隷属と支配が成立しているわけで、解消は難しい。

終日研修2023年08月05日 22:00

 今日は終日研修。

 ありがたいことに、研修自体はとても楽しい内容だった。休日を一日費やす意味が十分あった。

 ただ、疲れるのは致し方ない。すでにもう眠い。