「8 1/2」を観る2023年08月21日 21:18

 「8 1/2」を観る。1963年のイタリア・フランス合作映画。監督はフェデリコ・フェリーニ。ずいぶん久しぶりの再鑑賞だ。

 有名な映画監督のグイドの不穏な夢から始まるこの作品、現実と夢想との境目がどんどん曖昧になっていく。そのあたりの夢幻性が受け入れられないと、ピンとこない人も多いだろう。

 グイドは想像力の減退を感じている40代。肉体的にも衰えを感じ始め、性的にも衰えを自覚し始めているようだ。妻との仲は冷め、それでもなんとか復縁することで自分を回復しようとしている。その反面で愛人との不倫にものめり込むのだが、その愛人の品のなさに引き始めてもいる。

 幼少期に性的な抑圧を受けているような描写もあり、夢想の中では女性たちを自分の思い通りに支配し、反逆されれば鞭で脅す暴君ぶり。しかし現実では自作の脚本を叩かれ、シナリオはできず、プロデューサーからはせっつかれ、でたらめなセットを作らせてはクランクインをズルズルと引き伸ばす。冒頭の夢想で、逃げ出したいともがき、空を飛んで開放されるかと思えば、足にロープをかけられ、引きずり降ろされていく。八方塞がりのグイドはますます夢想に逃避する。

 ラストは祝祭的な大勢の踊りのシーン。だが、その中に紛れ込む白装束の人物。不穏な空気をはらみながらにぎやかな祝祭は続くが、ラスト、白装束の人物がたった一人になり、画面から消えていく。祭りのあとの寂しさ、虚しさ。それはグイドの存在を暗示しているのだろう。

 グイドの理想の女性を演じたのは、フランスの名女優、クラウディア・カルディナーレ。劇中でも女優クラウディアとしてグイドの前に登場する。理想の女優と出会えたグイドは、その彼女を現実では受け入れられない自分を自覚する。求めても得られない理想、それでも求め続けで自滅していく人間。フェリーニはそういう主人公をたくさん生み出している。