バービー騒動に思うこと2023年08月03日 20:16

 バービー騒動でワーナーが謝罪した。

 厳密に言うと、「バービー」というコメディ映画と「オッペンハイマー」というシリアス映画が同時に公開され、両作をまとめて観せたい興業側と、今どきのSNSとがお互いに正帰還(つまり発振モード)して悪乗りした結果だ。「オッペンハイマー」というシリアス映画が描くのはもちろん、核兵器を生み出したあのオッペンハイマーであり、作品の本質からして核に対する重い苦悩が描かれると推察されるが、そこのところは完全にオミットしてしまい、「バービー」のコメディのりになってしまったようだ。

 当然、夏の日本のこの時期に核をコメディ的に扱って発信するのはかなりクリティカルな言動だし、それにワーナーアメリカ本社が「いいね」的なノリを返してしまったのでは、さすがに日本人の神経を逆なでする。日本ワーナーが本社に抗議するのは当然といえば当然。

 しかし、今回の騒動に限らず、ここ数年のアメリカ映画での「核」の扱いの酷さは目に余る。前作インディ・ジョーンズでも核爆発を過小評価した描写があったり、アメリカゴジラでも、核によるゴジラ復活という設定なのに、その破壊力はあまりにしょぼい描写であった。彼らは本当の「核」の恐怖をどうやら腑に落としきっていないようだ。「ターミネーター2」のようなショッキングな描写こそが本来の核の姿だということを、どうやらアメリカ大衆は忘れ果てているらしい。

 これほど怖いことがあるだろうか。日本での現実の被害の記憶も、生存者がときとともに鬼籍に入られてしまい、次第に風化してしまうのではないかと危惧されている。まして遠い他国の出来事であれば、風化する以前にあっというまにその現実は記号と化し、軽く扱われてしまいがちだ。あの第二次大戦の惨禍も、人類の多くが直接体験していない世代となった今、風化してしまっている。それは昨今の国際政治での前時代的支配者の台頭と大衆の支持の現実からも明らかだ。その点では、日本も人のことは言えた義理ではない。

 しかし、アメリカにはこの件では日本はガンガン抗議するべきだ。それも、「お前が悪い」ではなく、「お前たちがノリで言ってることは、現実のこんな惨劇を忘れていることを示しているのだ」と正しく伝え、理解を求める方向に。日本の戦後サブカルは、生硬で青臭かったとはいえ、ストレートに大人から子供に「戦争の惨禍」と「反戦」を伝えようとしていたし、その伝統はきちんと残されている(ちと首をひねるような作品も最近の話題作にはあるのだが…)。サブカルが伝わるのなら、その通奏低音としての思いも必ず伝わるはずだ。

 願わくは、楽しく「バービー」を観つつ、「オッペンハイマー」の苦悩とその成果の光と影も受け止めて観てもらえるのがいい。「バービー」を観たら、「オッペンハイマー」も観ようというアイディアは、決して悪いとは思えない。風化しつつある過去の惨禍に思いを馳せ、認識を新たにするきっかけになるのなら、コメディ映画冥利に尽きよう。