なかったことにしたい過去2023年09月01日 22:40

 だれにでも「なかったことにしたい過去」はある。黒歴史というやつだ。  もちろん、国のレベルでも黒歴史はある。関東大震災から100年、やはりそれにも黒歴史があり、それが次第に明るみになるようになってきた。  歴史を黒く染めるのは、そのほうが都合がよい為政者がいるからだ。戦前の日本なら軍部や治安担当部署など。明るみになると現在いろいろとしがらみがあることもある。  だが、どんなに頑張っても、ある程度の規模を超えた事件であれば、必ず明るみに出る。問題はその時、知らんぷりを決め込んで知らぬ存ぜぬの強弁で無視するか、きちんと受け止めて反省と対策を考えるかだ。

外来種は殺してもいい?2023年09月02日 22:20

 外来種は駆除することが基本だ。だが、子供に外来種を殺させるのはいかがなものか。そういう報道を目にして、胸が傷んだ。

 アメリカザリガニは外来種だから殺してもいいと、子供が踏み潰す姿があったそうだ。元来小さな子供にはバッタの足をもいだり、カエルに爆竹を加えさせて破裂させたりと、残酷なことをする側面がある。だが、年とともにそれが残酷で許されることではないということ、あらゆるものの命を尊重することを学んでいくことが普通だ。

 いきものの命を殺すことを正当化するようなおぞましいことを子供に教えてどうするというのか。外来種駆除はいきものの命を奪うことの重さ、悲しさ、辛さを知ったものだけが行える行為ではないかと思う。外来種も残酷な幼児期を通り過ぎ、命に対する分別のついた年齢層の人間が持ち込んだもの。その責任の重さを自覚しながら駆除するからこそ、自ずと無益な殺生への制限も生まれてこようというものだ。

 自分以外の生命を、小理屈を根拠に平然と、何の痛みも感じずに奪うようなことを子供に教えてはならない。そんな子供は必ず小理屈のもとに他国民を、自国民を、殺す。命に貴賤も軽重もない。アメリカザリガニの延長線上に人間も存在する。

 秋の蚊は殺さず、食料とした動物を供養し、命を奪う生業を悲嘆し、涙を流し、仏に救いを求めた我々の祖先の歴史を、色眼鏡なしにもっと知るべきだし、知ってほしい。古典や文学は命の重さを身にしみて知るために不可欠だ。受験などというしみったれた損得勘定でどうこう言うべきものでは絶対にない。

 行き過ぎた効率化は人をどん底の貧困に叩き落とし、そして殺す。

デジタル棄民2023年09月03日 17:02

 スマホを持っていて、アプリをダウンロードし、インストールして使う。インターネットはもちろん接続してあり、利用可能。世の中はこれが基準になりつつある。

 というが、この国は東京ローカルが全国常識と思い込まされている国だ。若い独身女性がおしゃれを楽しむアパレルショップやカフェなど、日本全国ではごくごく局所的で特異なものにすぎない。

 インターネットもまたしかり。ある関西圏の一都道府県が極端にインターネット整備が遅れている(それは高齢化、過疎化が進み、ユーザーニーズが少ないということで、基本的に営利私企業となっている某通信会社がインフラ整備を後回しにしていたからだが)と判明し、時の首相が怒ったということがかつてあった。インフラ整備が営利私企業に任されている以上、ニーズの高いところにインフラ整備は優先的に行われ、ニーズが少ないところは対費用効果(最近の日本人が三度の飯より好きな「コスパ」だ)の観点から後回し、そして放置となる。

 かく言う我が家も、いつまで経っても光ケーブルの架設が行われなかった。その割には光に契約を更新しろとDMを送りつけてくるというふざけた対応をされた。あまりのことに抗議すると、夜間に明らかにリタイア後に再任用されたと思しき高齢男性からお詫びの電話がかかったが、その内容たるや「県内の大都市でも周辺部ではまだ整備できていないのだから、我慢してくれ」というもの。要は地方都市や地方は後回しなので文句を言うなということだった。

 PCも日本語処理をハードウェアで行う時代があり、日本語版PCはまさにガラパゴス状態。割高で陳腐化の早い製品を言い値で買わざるを得ない状態があった。言語対応をソフトウェアで行えるようになっても国産PCは対応が遅く(全世界共通のハードウェアと、最大日本語使用人口のみにしか意味をなさないハードウェアでは勝ち目もあろうはずもない)、あれこれと奇策を弄してユーザを苦しめた結果、初期インターネットの導入は高額所得者、そして都市部住人に限られた。その余波は今でも残っている。インターネットは都会の金持ちのもので、自分とは関係ないというイメージを持っている地方高齢者は多い。

 TVがネットに繋げますと言ったところで、それはハードウェアが対応していると言うだけの話。インターネットのプロバイダ契約そのものを行っていない高齢者は無視できないほど大勢いる。独居老人の見守りにネットを使う地方公共団体は少なくないが、そもそも高齢独居老人がプロバイダ契約をしている可能性は高くない(というより、たとえ契約していても、終活で契約解除している可能性もある。死後の料金支払いはありえない)。スマホと一緒にプロバイダ契約はするだろうが、それでは大抵はスマホで完結する環境だ。地上波で満足する高齢者に、ネットTVは敷居が高い。まして動画サイトなど。検索など夢のまた夢だ。アプリのインストールなど考えられない。生涯学習学の能力を身に着けさせていないこの国の教育システム(学校を卒業したらもう勉強しなくていいんだから、それまで頑張れ!というのは昭和ではどこでも言われていた話)では、スマホに関わるリテラシー(その多くは外来語由来のカタカナ表記)を学ぶことすらおぼつかない。そして保守的な社会においては、新規なものには興味を持たないことがステータスとなるような現実もある(俺はまだガラケーだ。電話さえできればいいんだからこれで十分だ。スマホはわけがわからんと豪語する高齢者は珍しくない)。

 デジタル棄民を生み出した社会が、その存在すら無視している。その事自体がまさに「棄民」だ。高齢者が生き延びるために学習しなければならないこと、学習のサポートをしなければならないこと。高齢者に媚びて票だけ集めようなどという志の低い政治や地方議会では高齢者をサポートできない。厳しい現実もしっかり提示し、それを乗り越える方策も考えねば。正確な現状把握とその共有、そして現実的な対策。

 何のことはない。処理水問題の対処とよく似ているではないか。

ゆっくり読書2023年09月04日 20:43

 仕事の都合でぽかんと平日に休業が飛び込んできた。持ち帰りの仕事もなく、特に急ぎでやらなければならない家の用事もない。

 まだまだ暑いので日中は外出も億劫だ。ということで、久しぶりに日中は読書三昧。

 途中まで読んでいたタルコフスキー映画の分厚い評論を、すっかり視力の落ちた(特に右目)目にしっかり老眼鏡をかけ、じっくり読む。時折眠気が来る(おそらく眼精疲労が答えるのだろう)とうとうとしながら、そしてまた目を覚まして続きを読む。

 マイペースでまったりと。購入した本だから、読み上げる期限もない。のんびり読んで半分ほど。こういう贅沢な読書は久しぶりだ。

 問題は…タルコフスキー作品が見たくなってしまうこと。ほとんどの作品は手元にセルや録画BDがあるのだが、たった一作、「ストーカー」だけがない。BDも買い損ねた。一度劇場で観ただけ。かんたんに観ることができない分、無性に観たい。


なぜか重い2023年09月05日 21:17

 最近、このサイトが重いことがある。

 ルーターの故障が原因かとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。他のサイトは問題なくアクセスできるのに、ここだけアクセスに時間がかかることがある。

 障害と言うほどではないが、少々気になる。