軽い議員2023年09月22日 20:39

 発言の軽い議員の報道が頻繁に行われている。

 人権意識の低さと古さを露わにして、避難されると謝罪は型どおりにするものの、「信念は変わらない」と開き直る。そしてその根拠として「支持者が存在する」という。

 社会には変化に対応できるものもいれば、対応できないものもいる。だが、一番たちが悪いのは「変化する気がない」連中だ。その裏には自分自身の権益や権力の保持に固執する浅ましさ、または自分自身が被った不利益を次世代が回避することに対する嫉妬(それは自分自身が受けた不利益に対する憎悪の裏返しだ)がある。

 他者を犠牲にした既得権益が許されたためしはない。必ずそれには血で血を洗う報復が待っている。報復の機を待たずに寿命が尽きる「勝ち逃げ」もないことはないが、深い遺恨が長く残ることになる。憎悪の裏返しの嫉妬はすでに感情的しこりであって、理屈でどうこうすることは難しい。これもまた深い遺恨の残るものだ。

 だからといって遺恨や搾取がいつまでも許されるわけではない、どちらも結局はおぞましい報復以外に何も産まない。

 そういうおぞましさを説くどころか、そのおぞましさに安住するために、おぞましい世界に囚われた人々の支持を貪り、それを根拠に自身のおぞましさに目をつぶる。発言が軽くなるのは当然だし、そういう連中を担ぎ上げる人間が無視できないほど存在する社会全体の貧しさも問題だ。

 議員をバッシングするのは簡単だ。だが、投票所に足を運ぶ人々にもバッシングを受ける議員を支持する人が無視できないほどの数存在することを肝に銘じておかねばならない。また、半数以上の有権者がが投票していないのは、果たしてそういう「軽い(=貧しい)」議員ばかりの選挙に愛想を尽かしているからなのか、それとももっとおぞましいことを考えているのか、それも問題だ。

 そして、この貧しさ、軽さは、この国だけの問題でもなさそうだ。世界が、この国が、遺恨と報復の渦に巻き込まれなければよいのだが。