ポピュリストの実態?2023年09月06日 21:48

 超狂などという名前で売り込んでいた市議会議員が、女性に性的暴行を加えたという容疑で逮捕されたというニュース。

 一種のポピュリストではないかと個人的には思っている。自身も体験した子供の貧困や子育て施策の問題については一家言あったようで、それはまさに自分の「腑に落ちている」問題なのだから、まっとうに議会での発言もできるだろう。複数の選挙戦を経験しているのだから、演説術もそれなりに身についている。

 ポピュリストは間違いや与太話ばかりを言うわけではない。彼らの主張の一部は至極まっとうだし、そこに共鳴する人がいるのは不自然ではない。だが問題は、それで得た支持を権力基盤と勘違いして恣意的な権力行使(当然暴力や他者の強制支配を含む)に走る点だ。

 虐げられた民衆が革命を起こしたあとの社会を見れば(そして多くの場合革命指導者は民衆にとっての扇動者となり、民衆を引きつける手段はポピュリズムだ)、その後にどのような惨状が現れるか判るはずだ。恐怖政治、弾圧、虐殺…ポピュリストは心のどこかに自分の権力が薄っぺらいものであることを感じている。だからそれを守るために手段を選ばない。かつて生き延びるためには手段を選べなかったのだから。

 今回の市議会議員も幼少期は過酷な生活だったという。社会でのし上がるためには手段を選ぶ暇もなかったのだろう。だからといって他人を暴力で支配し、ほしいままに欲望のはけ口にすることは絶対に許されない。その性向は必ず自分より弱いと判断したものに向けられるからだ。

 他人を恣意的に、暴力的に支配する者に、権力を渡してはならない。かつてはそうだったとしても、その悪しき伝統は断ち切らねばならない。

ウゴルスキ逝去2023年09月07日 20:56

 アナトール・ウゴルスキが逝去。

 神童と呼ばれながら、ソ連でシェーンベルクやブーレーズといった現代音楽を演奏したため当局に睨まれ、閑職に追いやられ、ソ連崩壊後の混乱で迫害を受け、1990年にドイツの難民キャンプで紙鍵盤でしか練習ができないという苦境に沈んでいたが、たまたま存在が発見され、1991年にドイツ・グラモフォン専属となり、西側にデビューしたという、遅咲きの天才だった。

 「展覧会の絵」のラスト、キエフの大門の冒頭がクレッシェンドで始まるなど、当時の一般的な解釈とは違う、それでいて説得力のある演奏が新鮮だった。メシアンの「鳥のカタログ」は今でも名盤の誉れ高い。

 後にウゴルスキは録音活動から離れ、教育現場に身をおいたようだ。グラモフォンからも離れ、ずいぶん経ってからスクリャービン全集を発表したが、それから後の消息は伝わってこなかった。

 享年80歳。政治と時代に翻弄される波乱の障害だった。冥福を。

退任続き2023年09月08日 21:52

 退任のニュースが相次いでいる。おまけにどれも不祥事絡みの交代劇。

 なあなあ、ずぶずぶ、みんなが観ないふりをしていた公然の秘密の悪徳。これらが許されない社会になっているのに、いまだにそれに気づかずにしがみついていた結果のように思える。

 叩けばもっとホコリが出そうな気がしてならない。


久々2023年09月18日 11:39

 久々にブログをアップ。

 一週間ほど緊急入院。内科ではなく、生命に関わるものでもなかったのだが、検診を受けたその場で異状が発見され、即手術、入院ということになった。

 なにせ午前中に受診、午後手術から入院という急展開だったので、大した準備もせずに病院に行くことになった。入院期間も定かではないので、ともかく数日分の着替えと財布を持って病院に。

 入院した病院はコイン洗濯機も乾燥機もあり、コンビニもATMもあるので、財布と最低限の着替えがあって、院内を移動できる状態なら特に不自由はない。便利なものだ。

 退院はしたが、しばらくは安静を心がけて、仕事もできれば休んで…とはいかないのが辛いところ。仕事も当面はデスクワーク限定を指示された。このブログもリハビリの一環のようなものである。

職場復帰2023年09月19日 20:50

 退院して今日職場復帰。デスクワーク限定という条件なのでおとなしく。もともとがデスクワークメインの仕事なのでさほど困ることもなかった。

 問題は通勤に使う自動車。久しぶりにエンジンをかけると、今ひとつ吹き上がりが足りない。アイドリング時のエンジン回転が明らかに低め。挙句に走行中にエンジンストップ。

 焦ったが交通量がさほど多くなく、ちょうど道幅も広めなところだったので、路肩になんとか車を転がして、ハザードを上げて対策。セルは回るが、エンジンがかからない。もしかしたらとセルを回し、アクセルを踏むと…エンジンが動き出した。

 それからはなんとかエンジン回転を最低でも1000ぐらいに保ちながらなんとか職場にたどり着いた。体の次は車の治療。まあ、続くときはそんなものだ。なにせ車齢20年。体も車も無理はきかない…