コンラッド『ロード・ジム』読了2016年03月26日 22:44

 コンラッドの『ロード・ジム』を読了。

 西洋文明、つまり近代文明は、その根本にキリスト教的倫理を持っている。そして倫理は往々にして、人の本能とは相反する。

 宗教者の息子として生まれ、自慢の息子として優秀な船員となったジム。しかし、彼は危機にあって、その理性、つまり倫理と反する本能的行動で生命の危機から脱出した。しかしそれは倫理の許すものではなかった。彼は近代文明の世界の一部である法秩序によって、船員という文明社会での地位を剥奪され、自分自身の倫理によって自分を責め続けることになる。

 そんな彼に語り手は手を差し伸べる。そしてジムは近代文明に属さない世界の混沌と騒乱を、近代文明の方法によって収め、信頼を集め、その地の実質的支配者として君臨した。かくして「ロード・ジム」は生まれる。

 しかし、前近代文明の混沌を収めたジムは、近代文明の暗部である欲望と支配欲、差別と暴力の権化のような自分の同朋によって窮地に追い込まれる。彼はその窮地に近代文明に則った行動で対処し、自分を滅ぼし、自分を愛した前近代文明からは無理解と怒りを剥けられるという悲劇に見舞われる。

 コンラッドは、近代文明の暗部と前近代文明の礼賛といった、単純な二元論には立たない。ジムは阿呆で、おめでたいボンボンで、誇り高く、勇敢で、直情径行で、優秀だ。彼の恋人はミステリアスで、頑固で、魅力的で、頑迷固陋だ。この話はむしろ、近代文明の野望とその挫折、前近代文明の脆弱さと頑強さのせめぎ合いを感じさせる。同じくコンラッドの『闇の奥』にも同じモチーフを感じる。

 一種の貴種流離譚の形式をもつこの作品には、ジム自身の視点がない。彼の描写はすべて第三者の視点でしか述べられない。ここにジム自身も意識していないさまざまな心理を想像する余地や、心の中の謎を暗示するキーもあるように思われる。

 100年前の作品ということが信じられなくなるような、そんな作品だ。

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