「完璧な夏の日」読了2016年09月30日 22:11

 ラヴィ・ティドハー著「完璧な夏の日」読了。

 第二次大戦前、ドイツ人科学者フォーマフトの生み出した機械が発生させた量子力学的波動は全世界に伝播し、数多くの「ユーバーメンシュ(超人)」を生み出した。主人公のフォッグはその名のとおり、霧を自在に操り、姿を隠し、霧の水分を実体化させて攻撃することもできる、イギリス人のエージェント。相棒の、手に触れるものを瞬時に消滅させることのできるオブリヴィオンと、第二次大戦のヨーロッパ戦線を、観測者として渡り歩く。ソ連にも、ドイツにも、アメリカにも、様々なユーバーメンシュが存在し、フォッグたちは彼らと時には共闘し、時には敵対する。そして、ある時、フォッグは永遠に無垢な女、彼にとってのファム・ファタールでもあるクララと出会う…

 ヒーロー物へのオマージュ、サイバーパンク的歴史改変、そしてラブストーリー、それもやや屈折した三角関係。SFエンタテイメントとしては王道だ。クララのキャラクターが少々存在感の薄さを感じるが、ファム・ファタールとしての記号と考えれば、読者の側がイメージを投影することでカバーできるのではないだろうか。押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」に登場する白ワンピース、白の麦わら帽の少女が大人になって現れる、そんな感じだろう。

 短い章を、時間軸を入り混じらせながら積み重ね、次第に物語の全体像が浮かび上がる仕掛けも、読む側の楽しみを増大させる。そしてラストは、どことなく爽やかな哀しみを感じさせる。連想したのは石ノ森章太郎の「四次元半襖の下張り」のラストだ。

 手堅くエンタテイメントとしてまとまっている良作。キャラクターの深みやら何やらといった高尚なものを求めすぎるのは野暮だろう。むしろ読者の側がそういった不足を補いながら読んでいくほうが楽しい。スチームパンク系の虚実入り混じった作品は、読者の持つ歴史的知識や遊び心との共同作業がないと、楽しみは半減する。何でも上げ膳据え膳で提供される親切丁寧な小説ばかりがエンタテイメントではない。

 かつて、創元推理文庫SFは、ハヤカワSF文庫に比べて安価だというイメージが強かった。しかし、近年は絶版・品切れも多く、再刊すると価格が高騰しているのが残念だ。とはいえ、良質のSFやエンタテイメントを提供してくれるのはありがたい。出来ることなら多くの読者が支えることで、価格低下が図れればと思う。

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