ゴジラ ライヴ・シネマ形式全曲集を聴く2017年03月23日 22:17

 「ゴジラ ライヴ・シネマ形式全曲集」を聴く。

 1954年の初代ゴジラの音楽を、映画での登場順に並べ、演奏会形式で2016年に録音したもの。作曲した伊福部昭の弟子である和田薫が復刻し、日本センチュリー交響楽団が演奏したというもの。

 オープニングはもちろん、あの有名なゴジラ・タイトルだ。3・3・9音のメインモチーフを知らない人はまずいないだろう。SF交響ファンタジー第1番の口開けもこのテーマから始まるのだが、晩年の伊福部自身も含め、最近の演奏では3音目、6音目をすうっと伸ばす演奏が多い。これだとスマートで颯爽とした感じになる反面、重厚さや威圧感は失われてしまう。しかし和田の演奏は初代ゴジラ時の演奏同様、3音、6音目をきちんと終止させて、重厚感をはっきりと際立たせている。

 しかし、トランペットが少々興ざめ。ホールの響きにやや溺れているのか、なんとも柔らかく上品すぎるのだ。バーバリズムが求められるゴジラ・タイトル、それも重厚感を押し出した解釈に、このなんとも上品で洗練された、ホールトーンも豊かに付随するトランペットは不釣り合いだ。もっと直接音を叩きつけるような攻撃的な音が欲しかった。

 同様なのは大戸島の神楽の音楽でのフルート。なんとも優美で美しいのだが、これでは天女の舞である。映画では剣舞、怪物調伏の戦いの舞のバックに流れていた曲。曲の美しさを優先するあまり、ここでもバーバリズムとはかけ離れた都会的上品さが、鄙びた離島の神事の無骨さを塗りつぶしてしまった。

 1954年の映画が持つ、モノクロかつ荒削りなイメージが強烈で、洗練された演奏に違和感を持ってしまうのかもしれない。だが、伊福部の音楽には、都会的な洗練を拒絶するバーバリズムやパワーが求められるのではないだろうか。美しい演奏ではなく、原始的な力を秘めた演奏、洗練ではなく素朴な色彩、響きではなく直接音による攻撃的な音色、そういったものが欲しい。なんとも惜しい。