「お紺昇天」再読2017年09月04日 23:23

 筒井康隆の短編小説「お紺昇天」を再読。

 筒井らしい、ちょっとひねった道行、というか、事実上の夫婦の死別の話ということになるだろう。ちょっとひねったところがどこかをバラすのは少々気が引ける。

 最初に読んだのはまだ中学生ぐらいだっただろうか。その程度の歳でも、いい話だということぐらいは理解できた。その後、今のEテレが野田昌宏氏を迎えて、「市民大学」という番組でSFを取り上げた時、筒井自身が登場してこの作品の一部を朗読したのも印象に残っている。

 だた、当時はガジェットを取り込んだ部分が、筒井一流のドタバタや皮肉につながっていて、笑いを誘うポイントではなかったかと思う。

 ところが、今の目でこの作品を読むと、ドタバタギャグどころか、この小説は奇妙なリアリズムを持って我々に迫ってくるようになった。機械を修理するのは違法で、全て廃棄し新品を買い換えねばならないなどという設定は、この作品では不条理なものとされていたが、故障修理を依頼すると新品が即座に送り返されてくるアップル製品などを考えると、もはや不条理でも何でもない。現在では常識となっている。

 発表当時の社会を風刺し、笑いの種にした作品が、すっかり笑えなくなった社会がやってきたのは、果たして社会が発展したからだろうか、それともとんでもない社会になってしまったのだろうか。

 いい話だが、空恐ろしい気分にさせられる再読だった。