いよいよ解散総選挙2017年09月25日 22:30

 いよいよ解散総選挙だそうだ。どこぞのお姉ちゃん集団の話ではない。国政の話だ。

 今回の目玉商品(というより、餌かアメ)は、高等教育無償化のために消費増税分を回して、借金返済は後回しということらしい。

 高等教育は、おそらく大学無償化のことを指すのだろう。先進諸国の中で、日本の国公立大学の授業料は、ありえないほど高い。あんまり高いので、他国でも「あれぐらい毟っても大丈夫ではないか?」と、逆に手本にされる体たらくだ。だが、消費税を回すのは少々お門違いではないか。

 なぜ大学に行きたがるか。その大半は「学問」をしたいからではない。「大学」にいかないと、「いい職場(俗にホワイトカラーと従来は呼ばれていたが、最近はブラックに色彩変化しているらしい)」に入れないからだ。そして、それら大企業も「大卒」を雇用資格としている。この場合、受益者は一見学生であるかのように見えるが、その実は、雇用した社員の教育費用や育成費用を大学または大学入試にアウトソーシングして切り捨てた企業側にあると見るべきだろう。

 つまり、大学の学費は、大卒雇用を求める企業が負担するのが本来の姿であり、負担できないのなら、大卒を雇用条件にすべきではないということだ。高卒や中卒でどんどん採用し、自社にとって望ましい社員に育成すればいい。手間暇とカネはかかるが、それぐらい大事にすれば、とっとと辞める連中も減ろうと言ういうもの。もともと「人材」を育てるのではなく、購入しようと考えて採用するから、採用される側も自分を「商品」として、より高く買ってくれる職場に移動するわけだ(これは新自由主義の基本)。オワハラなどとブザマな醜態を晒すぐらいなら、人材育成に手間・暇・カネをかけるのが企業の筋というものだ。

 スポーツも同様。部活動などという、ボランティアに依存した無賃労働で育成した選手を、油揚げをさらう鳶よろしくカネで買い取っていくのをやめて、義務教育終了後、それでは遅いというのなら、義務教育部分も含め、プロスポーツ企業や団体が抱えるべきだ。

 そんなこと、企業やスポーツ団体は抱えきれないというのなら、それは、その程度の力しか企業や団体が持っていないということだ。それなら、身の程に似合った運用をすればいい。ありもしない実力を妄想して、勝手に暴走されても、しわ寄せが来るのは労働者や庶民に過ぎない。そう、増税した消費税という負担も、その一つである。

 高等教育を無償化するのなら、かつての日本育英会のように、医師や教員に終了した学生に対する返済義務の抹消によって、大卒資格がない限り就労できない職種に就くための、学費という経費を保証し、企業は大卒採用した全ての学生の学費を、就労経費として負担すべきだ。この方が産学協同として、よりまっとうではないか。カネになる研究しかできなくなるよりよほどマシだ。

 プロスポーツ企業やスポーツ団体は、小学校から丸抱えで子供の育成を行うべきだ。残念ながら選手として不遇な結果であったり、負傷等で選手生命を断念セざるを得なくなったものに対する生涯保証としても、これは必要不可欠だろう。

 消費税増税分を高等教育無償化に当てる必要は、本質的にはない。負担するお門が違うのだ。資源のない国が、人材に投資しなくて、どうやって世界に伍するというのか。人材は10年以上の時間をかけ、数十年のスパンで育てるものだ。小口株主のけち臭い短期ビジョンなど、屁の突っ張りにもなりはしない。身の程を知って、引け時、耐え時を見誤らず、何歩も先を考える。そんなビジョンが、果たして今回の解散総選挙にあるのだろうか。