「クララとお日さま」読了2022年01月18日 21:19

 カズオ・イシグロの「クララとお日さま」を読了。

 というより、ずっと前に読了していたのだが、記録するのを忘れていた。

 クララは子供の友達として作られた、一世代前の型落ちアンドロイドの少女。アンドロイドにはそれぞれ個性があり、AIの学習能力でそれはさらに分化されていくようだ。クララはデフォルトで他の個体より周囲や人間を観察する機能に優れている。

 そんなクララを気に入り、買い取ったのは病弱な少女。クララは販売店で、ショーウィンドウから町や人々を観察し、買い取られてからは少女の家でそれまで知ることのない家族や人々の哀しみや苦しみ、醜さや社会の歪みに直面していく。

 そんなクララの動力源は太陽電池らしい。自分の活動の糧を与えてくれる「お日さま」は、クララにとって絶対の存在、いうなれば彼女の「神」のようなものだった。

 画像処理の速度が重いクララは、データベースのない未知の世界では視界がピクセル化してしまうようで、詠む側のこちらもピクセル化した漠然とした世界が自然と安定した像を結ぶのを追体験しながら、クララの世界認識を把握していく。その未熟さも、斬新さも。

 クララにはあの「アシモフ・コード」がインストールされているのだろうか。彼女は決して人間を恨まない。憎まない。妬まない。

 だが、彼女の友達は確実に大人になる。いつしかクララは(もともとか…子供サイズなのだ)小さくなり、別れを告げなければならなくなる。クリストファー・ロビンがくまのプーさんと別れるように。買い取られた家族の誰もから愛されたクララに対して、家族が望むことができるのは「安らかに引退させてあげたい」ことだけになる。

 ラストシーンの、なんと美しく、寂しいことだろう。クララの「日の名残り」は、カズオ・イシグロの作品群とたしかに通底しているように思える。

 クララは、キカイダー・ジローを想起させる。切なく、寂しい。