昔のものごとは…2022年03月10日 21:51

 昔のものごとは…全部間違いだ。

 そう思っていたほうがいいのではないかと最近思うようになった。

 間違っていない昔のものごとは、今でも現役であって、昔のものごとではない。今現在のものごとだ。今現在「昔」になっているものは、どこか今の時代では機能しないエラーを持っている。それを「よかった」と懐かしむのは、実は現在にアップデートできず、間違ったままであぐらをかきたい連中のたわごとではないか。

 世界が大きく、それも早く変わっていくこの時代には、それぐらいの厳しさがないと対応できないのではないだろうか。

 そんなことを言うと、「じゃあ、今のものがすべていいというのか」と逆ねじを食わせる人もいるだろう。だが、残念ながらそのとおりだ。そして、「今」は必ず「昔」に変わる。「今」良かったものも「明日」には間違いに変わってしまう。

 確かなものとは、寄りかかってあぐらをかくためのよりどころ。そんなものなど、これまであったはずはない。自然界を見ればわかる。気象が「異常」なのではない。「正常」な自然など、人間の勝手な想像が作ったものだ。たかだか100年程度のデータとせいぜい50〜60年程度の人間の直接体験記憶で自然の「正常」など、測れるはずもない。

 伝統も常に「今」を取り入れるから成立している。狂言は「シン・ゴジラ」の動きを産み、歌舞伎は「ワンピース」を演目に入れる。茶道も死に水取りから行儀作法にそのスタンスを変えた。

 いつまでも変わらないのは、田舎のオヤジ政治家か?昨今の報道で取り上げられる彼らの所業や発言は、ただただ「ぶざま」の一言に尽きる。わがままを自由と履き違え、男尊女卑が染み付いて、自分が骨の髄までそれに犯されていることすら気づかない。

 いや、田舎に限定するのは間違いだ。かつての国家元首にもそういう御仁がいたっけ。