盂蘭盆 ― 2014年08月14日 07:51
恒例の盂蘭盆墓参。
年に1度祖先を思うことはいいことではある。
ただ、これがかつて農民を農地から離さないために機能した行事であることも考えると、その社会システムが崩壊した現代では、なかなか難しい面もある。
管理できない墓所が増加している問題もそうだ。宗教というより、迷信からオカルトじみた慣習の縛りは、墓所の問題を複雑化させている。
墓所のある田舎には、生活の基盤となる雇用先が不足しているのだ。
年に1度祖先を思うことはいいことではある。
ただ、これがかつて農民を農地から離さないために機能した行事であることも考えると、その社会システムが崩壊した現代では、なかなか難しい面もある。
管理できない墓所が増加している問題もそうだ。宗教というより、迷信からオカルトじみた慣習の縛りは、墓所の問題を複雑化させている。
墓所のある田舎には、生活の基盤となる雇用先が不足しているのだ。
オカルト番組 ― 2014年08月14日 22:12
ホラー特集などと銘打ったオカルト番組の花盛りだ。
正直、そういうのは大好きなのだが、今風の若い女の子がキャーキャー後ろでわめき散らし、オチャラケで売名すること以外はほとんど考えていないような芸人のしゃべくりとくだらないスカシが出てくる番組には閉口する。
CM前後の引きもなんとも興ざめだ。スタジオ場面など不要なので、淡々と事実のみを積み重ね、ナレーションのみで引っ張る番組が恋しい。
しかし、かつてのオカルト番組(今も本質的には変わらない?)にも、首を傾げる話が多かった。
二言目には「なくなった方をご供養」と唱える霊能力者と称される人物。まずこの「ご供養」が「仏式」を前提としたもの。オカルトは日本の仏教徒に限定した現象ではなかろうにという、素朴な疑問が浮かぶ。聖水と聖書では仏教徒の幽霊には効き目がないのだろうか?コーランでは?もしそうだとするとあの世もけっこう世知辛い。
墓場を造成した宅地に建てた家だから、オカルト現象がという言説もまた同様。一体どの時点まで歴史的に遡れば良いというのだろう。第一、遺体は墓場にしかないというのは不自然だ。歴史的に考えれば、行き倒れ、災害、その他もろもろでなくなった生命体はたくさんいるはず。動物にも霊があるというのだから、恐竜やら原生生命体やら絶滅種やらを考えると、とてもオカルトと縁のない土地など考えられないだろう。
それとも「化石燃料」に依存する現代社会そのものが、オカルト現象で呪われた不幸な社会とでも言うのだろうか。
オカルト現象そのものは、否定できないし、するつもりもない。だが、その解釈に妙な宗教的(そしてその大半は政治的なものとなる)解釈を重ねるのはいかがなものか。
一方で「人工的に再現できるから、オカルトなんてない」というのもまた短絡的だろう。オカルト現象の本質は普遍性・再現性ではなく、特殊性・偶発性に依拠している(人によって見えたり見えなかったり、確実に再現されるとは言えなかったり)と考えるのが現在では妥当な線だろう。したがって、普遍性・再現性に準拠する現在の科学論証とは土俵が違う。オカルトを科学的に記述しようとするなら、確率論(今日、この場所で、○○%の確率でオカルト現象が起きるでしょうといった、お天気の確率予報のようなもの)でしか記述できないのではないだろうか。
オカルトは、あってもいいし、あると思ったほうがゆとりがあっていいんじゃないの?その程度の認識が一番健康的ではないだろうか。
正直、そういうのは大好きなのだが、今風の若い女の子がキャーキャー後ろでわめき散らし、オチャラケで売名すること以外はほとんど考えていないような芸人のしゃべくりとくだらないスカシが出てくる番組には閉口する。
CM前後の引きもなんとも興ざめだ。スタジオ場面など不要なので、淡々と事実のみを積み重ね、ナレーションのみで引っ張る番組が恋しい。
しかし、かつてのオカルト番組(今も本質的には変わらない?)にも、首を傾げる話が多かった。
二言目には「なくなった方をご供養」と唱える霊能力者と称される人物。まずこの「ご供養」が「仏式」を前提としたもの。オカルトは日本の仏教徒に限定した現象ではなかろうにという、素朴な疑問が浮かぶ。聖水と聖書では仏教徒の幽霊には効き目がないのだろうか?コーランでは?もしそうだとするとあの世もけっこう世知辛い。
墓場を造成した宅地に建てた家だから、オカルト現象がという言説もまた同様。一体どの時点まで歴史的に遡れば良いというのだろう。第一、遺体は墓場にしかないというのは不自然だ。歴史的に考えれば、行き倒れ、災害、その他もろもろでなくなった生命体はたくさんいるはず。動物にも霊があるというのだから、恐竜やら原生生命体やら絶滅種やらを考えると、とてもオカルトと縁のない土地など考えられないだろう。
それとも「化石燃料」に依存する現代社会そのものが、オカルト現象で呪われた不幸な社会とでも言うのだろうか。
オカルト現象そのものは、否定できないし、するつもりもない。だが、その解釈に妙な宗教的(そしてその大半は政治的なものとなる)解釈を重ねるのはいかがなものか。
一方で「人工的に再現できるから、オカルトなんてない」というのもまた短絡的だろう。オカルト現象の本質は普遍性・再現性ではなく、特殊性・偶発性に依拠している(人によって見えたり見えなかったり、確実に再現されるとは言えなかったり)と考えるのが現在では妥当な線だろう。したがって、普遍性・再現性に準拠する現在の科学論証とは土俵が違う。オカルトを科学的に記述しようとするなら、確率論(今日、この場所で、○○%の確率でオカルト現象が起きるでしょうといった、お天気の確率予報のようなもの)でしか記述できないのではないだろうか。
オカルトは、あってもいいし、あると思ったほうがゆとりがあっていいんじゃないの?その程度の認識が一番健康的ではないだろうか。
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