労働と対価 ― 2014年08月23日 00:18
バブルの頃
労働よりも多くの対価が支払われ、人々はその使い道に狂奔した。これを世間は「好景気」と呼んだ。
バブル崩壊後
労働の内容よりも多くの対価を受けている人をこき下ろし、労働賃金は「適正化」の方向に向かった。人々はリストラに怯え、蓄財に走り、景気は低迷した。これを世間は「不景気」と呼んだ。
アベノミクス
労働の対価を超えた労働が強要され、人手不足が発生した。人々は「人間らしく」生活するための仕事を探し、それを提供できない企業が現れた。
構造改革は、仕事もしないでのらりくらりとしながら給料をもらう人間を排除した。だが、それは社会からゆとりや余剰を剥ぎ取ることとなり、また、効率を優先し、人間存在をパラメーターとしない経済理論は、社会的弱者を困窮に引きずり落とした。これが「痛み」であり、構造改革当初より予告されていた。
アベノミクスは景気回復を主眼としているが、その背景にある「人間の生活」の視点については、かなりかび臭いナショナリズムの域にあり、「人間らしく」生活するということの現代的定義はなおざりと言わざるを得ない。税の基礎控除額は憲法で保証されている最低生活水準を意味するが、これは年間わずか20数万円、月単位では2万円程度になる。一ヶ月2万円生活など、芸人を担ぎだすバラエティ番組に毛の生えたようなものであり、単身世帯ならともかく、家族単位ではありえない額だ。これを見直すような機運など微塵もない。月給が3万円もあれば豊かな暮らしができるというのだろうか。
こんなシステムが温存されたままでは、「痛み」の解消など程遠い。
構造改革を唱え、それを実現した首相があっさりと退陣したことの意味を考えずに、その弊害をあげつらうばかりでは、未来に何も残らない。構造改革が進めば、同時にその弊害である「痛み」の定義と対策を急がねばならないはずなのに。
激変する社会の中で、アップデートの努力すらセずにヘラヘラしているこまった御仁を排除することに反対するわけではない。だが、ただ排除だけではなく、再教育による復帰もまた、排除の裏には必要だろう。困った御仁もまた人間。「人間らしく」暮らしたいのもまた同じ。「人間らしく」生きることのできる保証がなされない限り、経済政策など小手先の誤魔化しに過ぎないだろう。
労働よりも多くの対価が支払われ、人々はその使い道に狂奔した。これを世間は「好景気」と呼んだ。
バブル崩壊後
労働の内容よりも多くの対価を受けている人をこき下ろし、労働賃金は「適正化」の方向に向かった。人々はリストラに怯え、蓄財に走り、景気は低迷した。これを世間は「不景気」と呼んだ。
アベノミクス
労働の対価を超えた労働が強要され、人手不足が発生した。人々は「人間らしく」生活するための仕事を探し、それを提供できない企業が現れた。
構造改革は、仕事もしないでのらりくらりとしながら給料をもらう人間を排除した。だが、それは社会からゆとりや余剰を剥ぎ取ることとなり、また、効率を優先し、人間存在をパラメーターとしない経済理論は、社会的弱者を困窮に引きずり落とした。これが「痛み」であり、構造改革当初より予告されていた。
アベノミクスは景気回復を主眼としているが、その背景にある「人間の生活」の視点については、かなりかび臭いナショナリズムの域にあり、「人間らしく」生活するということの現代的定義はなおざりと言わざるを得ない。税の基礎控除額は憲法で保証されている最低生活水準を意味するが、これは年間わずか20数万円、月単位では2万円程度になる。一ヶ月2万円生活など、芸人を担ぎだすバラエティ番組に毛の生えたようなものであり、単身世帯ならともかく、家族単位ではありえない額だ。これを見直すような機運など微塵もない。月給が3万円もあれば豊かな暮らしができるというのだろうか。
こんなシステムが温存されたままでは、「痛み」の解消など程遠い。
構造改革を唱え、それを実現した首相があっさりと退陣したことの意味を考えずに、その弊害をあげつらうばかりでは、未来に何も残らない。構造改革が進めば、同時にその弊害である「痛み」の定義と対策を急がねばならないはずなのに。
激変する社会の中で、アップデートの努力すらセずにヘラヘラしているこまった御仁を排除することに反対するわけではない。だが、ただ排除だけではなく、再教育による復帰もまた、排除の裏には必要だろう。困った御仁もまた人間。「人間らしく」暮らしたいのもまた同じ。「人間らしく」生きることのできる保証がなされない限り、経済政策など小手先の誤魔化しに過ぎないだろう。
オペラより遠い ― 2014年08月23日 21:58
オペラは輸入文化だが、LPやCDの時代から、現在のBDや配信動画も含め、実際の公演に触れなくても、比較的容易に作品に接することができる。
ところが、能・狂言・歌舞伎となるとかなり違ってくる。
パッケージメディアがオペラと比べて圧倒的に少ない。
オペラは全世界的に需要があるが、日本の伝統芸能はそうではないのでマーケットに載せにくいということもあるのだろうが、パッケージメディアの最大市場が今や日本となっていることを考えると、一概にそうとも言えない。
歌舞伎など、演ずる役者たちは歌舞伎以外の舞台でも活躍していて、知名度も高いのだが。
自国の(それも世界の演劇や映画を革新させた)芸能が、他国の芸能よりも閲覧しにくいというのはなんとも皮肉だ。せめて対等な環境がほしいと思う。
歌舞伎のケレン味を特撮で表現した映画も現れている。オリジナルをしるいいきっかけになると思うのに、そんな時肝心のオリジナルを鑑賞することができないのはもったいない。
ところが、能・狂言・歌舞伎となるとかなり違ってくる。
パッケージメディアがオペラと比べて圧倒的に少ない。
オペラは全世界的に需要があるが、日本の伝統芸能はそうではないのでマーケットに載せにくいということもあるのだろうが、パッケージメディアの最大市場が今や日本となっていることを考えると、一概にそうとも言えない。
歌舞伎など、演ずる役者たちは歌舞伎以外の舞台でも活躍していて、知名度も高いのだが。
自国の(それも世界の演劇や映画を革新させた)芸能が、他国の芸能よりも閲覧しにくいというのはなんとも皮肉だ。せめて対等な環境がほしいと思う。
歌舞伎のケレン味を特撮で表現した映画も現れている。オリジナルをしるいいきっかけになると思うのに、そんな時肝心のオリジナルを鑑賞することができないのはもったいない。
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