「パシフィック・リム」を観る2022年05月29日 09:20

 「パシフィック・リム」を観る。2013年、ギレルモ・デル・トロ監督のアメリカ映画。

 話題になっていながら、劇場に行くタイミングを逸し、それからはなかなか縁がないままだった作品。

 日本のサブカル・コンテンツの、それも王道というより少し傍流に流れているあたりへのオマージュいっぱいの作品。心理描写が薄いのは確かだが、この尺でこの内容なら無理もない。日本のサブカルの多くはTVシリーズが基本で、トータルでいえば12時間以上(最近は6時間弱)もの時間を積み上げて作成されているので、心理描写にも時間が使えるが、2時間ではどこかを端折らなければならない。ストーリーを破綻させないためには、心理描写は薄めになってしまう。

 作中の日本語の定着っぷりがまた面白い。どこか不自然で、でも意味は通る。意味と表現がどこかもどかしく乖離しているのは、日本語ネイティブ(菊池凛子演じる森マコは、幼少時にイギリス軍人に引き取られているので、日本語が不自然という設定なので、不自然でなければならない)ではない人々の日本語受容のスタイルとして興味深い。

 カイジュー(冒頭で日本語の「怪獣」であると明記)が海底の次元断層から責めてくる。それに対抗するための人類側の兵器がイェーガー(ドイツ語で狩人)。二足歩行人形ロボットであるイエーガーはパイロットのモーションキャプチャーで操縦するが、精神面での負担が大きいため、パイロットは二人のバディとなり、大脳機能を共有するシステムの起動時に互いの記憶を共有することとなる。まさに巨大ロボットもののフォーマットのてんこ盛り状態。このあたりをシリアスに掘り下げると、ドロドロの人間関係ドラマになりそうなので、少年マンガ的にさらっと流すのだが、ここが心理描写の薄さの原因の一つにもなる。ダークな部分は描けても、ダーティな部分は描きにくい。プライバシーに関連するセンシティブな部分ももちろんである。

 とまあ、そういう小難しい話をするのはこの映画には野暮だろう。おなじみの伏線と、おなじみのフラグをチェックしながら、ハデなロボットアクションを楽しむのがこういう映画の「お作法」だ。だからラストの甘さも許そう。そういうところも「日本のサブカル」そのままなのだ。

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