おそろしいこと2014年10月16日 22:16

 通りすがりの女子大生を殺した男子大学生がいたというニュースを見た。

 誰でもいいから殺してみたかったそうだ。

 御嶽山の捜索が打ち切られた。行方不明者を最後の一人まで連れて帰りたいと願いながら、それがかなわない隊員たちは臍を噛んで下山したという。

 人の命をなんとも思わず、ただの記号程度にしか感じられない人間もいれば、たとえ死者であっても、その存在に自分のすべてをなげうって敬意を表そうとする人間もいる。

 人とその命への敬意を、理屈ではなく全身で感じ、表すことができるのが、どれほど大切なことか、つくづく思う。全身で命を感じ、尊重する能力の前では、宗教ですらただの記号に過ぎない。宗教がいかに簡単に人の命を粗末にする屁理屈と化すかは、歴史を見ても、時事問題を見ても、明らかだろう。

 太宰治の「津軽」の一節に、「親孝行は自然の情だ。道徳ではなかった。」というくだりがある。名言だと思う。

政争2014年10月19日 16:57

 うちわを配ったのは犯罪だ。
 会計報告に書いていない事項がある。

 だから大臣はクビなのだそうだ。

 たしかに法律上は犯罪なのだろう。

 責任を取るとは、この国では辞職することらしいので、まあ、クビにしろと迫るのは当然だろう。

 ところで、クビにした後、クビにしろと言った御仁は、どのようにその穴をフォローするつもりだろうか。

 当然、役職のある人間を引きずり下ろしたのだから、それに代わる何かをきちんと持っていてもらわないと、国民は非常に困る。

 まさか、「あの時大臣をクビにしたのは我々です。偉いでしょう?だから票をください」と言いたいがために行動しているわけではないのだろうから。

 政争はやってもらって構わないが、国民にとばっちりを食わせるのだけは勘弁してもらいたい。そうでなくても、ここしばらく政権が代わり、内閣が代わるたびに、国政がガタガタして迷惑を被っているような気がする。

ポリーニとディースカウの「冬の旅」2014年10月21日 18:55

 ポリーニがピアノ伴奏した、ディースカウの「冬の旅」ライブ。

 まあ、とんでもない顔合わせをやったものだ。

 録音は上々、リアルな音像で惹きつけられる。

 演奏はと言えば…ポリーニに伴奏というのは、「牛刀を以て鶏を割く」のたぐいだろうか。あのポリーニの(それも若い頃の)音色で伴奏されれば、やわな歌手など消し飛んでしまう。
 さすがのディースカウもかなり苦戦している模様だが、それでもがっぷり四つで歌い切るのだからさすが。

 2大巨匠の真正面ガチンコ勝負といった感じ。リラックスして聴くというより、前のめりで聞きたい演奏だ。

ハワード・エンド読了2014年10月23日 23:27

 ハワード・エンド読了

 オースティンの「高慢と偏見」とよく似た雰囲気を保つ作品だ。まあ、英国中級上流階級の話なのだから、当然と言えば当然だ。

 とは言え、この小説の最大の主人公は、タイトルにもあるこじんまりとした田舎の邸宅「ハワーズ・エンド」であり、その家を中心とした中級上流階級と新興ブルジョア階級とのつながりについての物語だ。

 一種のファミリードラマでもあるので、波瀾万丈というわけにはいかない。また、金の重要性についての指摘もユニーク。「衣食足りて礼節を知る」ということわざわあるが、この作品によれば、「財産足りて教養を持つ」とでも言える哲学が開陳される。

 最後にまあまあ丸く収まるストーリーは、現代人の擦れた目からすると、ご都合主義的に見えなくもないが、まあ、そこに目くじらを立てるのは酷だろう。

政治家の不祥事2014年10月29日 21:48

 予想通りというべきか。

 政権に変化があるたびに、閣僚や政治家の不祥事が暴かれる。

 しかし、不祥事が起きない政治家がいると、本気で思っている国民がどれほどいるのだろうか。

 第一、その不祥事の遠因となってるのは、利益誘導による集票が可能だということに他ならない。

 有権者は自分に有利になる候補者に、つまり利益を誘導してくる候補者に投票する。これは当たり前のことだ。そして、有権者の利益が、どのスパンで定義されるかと言えば、残念ながら狭い時空間の範囲で定義される事の方が多いだろう。目先の利益を放棄して、自分が死んだ後の世代へ利益を還元しようという考え方が多数派を占めると言うことは、かなり世離れした理想論だと考えざるを得ない。見えない未来より、目の前の生活を求めることを、誰も責めることはできない。

 政治家の不祥事を責めることは、投票者すべての狭量な利益誘導のあり方を責めることと同義だ。それはもちろん、マスコミとて同様。というより、マスコミこそが真っ先に襟を正すべきだろう。政治においてマスメディアの影響力は計り知れない。

 政治家の不祥事は決して他人ごとではない。不祥事を起こすような人物を選び、支持したことこそが本質だろう。それはつまり、投票者が自分たちの求めた利益を否定されたということなのだから。

 また、不祥事を起こす余地がない政治家とはどんな政治家なのかについても一考の余地があるだろう。そういう政治家に魅力を感じる有権者が集まるかどうか。