スポーツという見世物2023年02月05日 16:00

 すべてのスポーツは見世物だ。アマチュアもプロも、子どもも大人も関係ない。残念だが、それが実態のようだ。

 やっている本人たちは、ただ楽しく(あるいは何かの得を求め、あるいは気がつけば支配・隷属関係に置かれ)てスポーツをやっているのだろう。もちろんプロはそうはいかない。彼らは明らかにエンターティナーであり、芸能人と本質的には変わらない。プロスポーツは根本的に見世物だ(だからといって、どこかの国の裁判所のように芸能人は私生活もコンテンツなのだから、プライバシーのある程度の侵害はやむをえないなどとは全く思わない。誰と誰がくっついただの離れただのというゴシップ話には全く興味が沸かない)。

 しかし、本来見世物である必要のないアマチュアスポーツやこどものスポーツを食い物にしている連中のなんと多いことか。新聞、テレビ、ラジオは言うまでもなく、彼らの所属する学校、団体もまた、スポーツを楽しむアマチュアやこどもをむしりあげている。金、権力、社会的地位、志願倍率、志願者増…必ず外野の連中の(あるいは主催者側の)そろばん勘定が入り込む。アマチュアスポーツのスポンサー企業だって、自社CMのイメージにアマチュア選手や競技を使うことが前提だ。決してボランティアで資金援助などしているわけではない。

 さらに、社会的承認欲求という欲望を満たすために、一般の個人も猫も杓子もやれインスタだの、SNSだのとうつつを抜かして情報をネットにばらまく。

 だから、今やすべてのスポーツは見世物だ。それに気づかないで頑張った挙句、むしりあげられて困り果てているアマチュアやこどもがどれだけ多いことか。大会パンフレットと称するものに選手の顔写真を掲載しようなどと前時代的なことを平気でやっている学校スポーツ団体も存在するそうだから、呆れ果ててしまう。いっそすべての人がスポーツを始める前に、個人のプライバシーの一部が侵害されることを了承する念書でも書くべきだろうか。まったく馬鹿げている。

 アマチュアやこどもを見世物から解放して、スポーツを楽しませることはできないものか。ここ数年、そんなことを考えていたら、マスコミのスポーツ報道をどうしようもないほど不愉快に感じるようになってしまった。ある中学生がスポーツ大会で大活躍した途端、私生活を報道陣やファンに侵害されたと弁護士を通じてコメントを発表したという。報道はその子を実名入りで報道している。それ自体がすでにプライバシーの侵害ではないか。

 ことは報道だけの問題ではない。報道を求める我々の側の問題だ。知る権利は知られるものの人権や生活を守る義務の上に初めて成り立つ。スポーツを楽しむアマチュアやこどもの平和な個人生活をむしりあげる権利など、誰も持ってはいない。