お金持ちの国2023年05月20日 21:15

 この国はお金持ちの国らしい。

 公立学校の教育だけではブランド力のある大学には入りにくいことこの上ない。だから余計な金をつぎ込んで教育費がかさむ。学業が駄目ならスポーツでという妄想もいまだ根強い。だがそのスポーツがまた経費のかかるようにできている。嘘だと思うなら、学校の体操服で競技している部活動がどれほどあるか考えてみればいい。

 そういう金食い虫連中がよってたかって特定の企業に群がり、採用されていく。その反面、いくら実力があっても、100も200も書類を出して、ペーパーのみで門前払いという学生の多いこと。これを異常といわなくて何というのか。世間は人不足だと悲鳴をあげているのに。

 人不足の企業はこの国の企業の大多数を締める中小企業。給与的にも学生時代に投資した金額(または奨学金という名の借金)を回収・返済するには苦しい状態である可能性が高い。おまけに、学部卒・大学院卒の若者を雇用し、企業のメンバーとして人材活用するノウハウもまたこれらの企業には多いとは言えない。

 地方都市には進学した学生は帰ってこない。職場が少なく、給与体系が高くなく、地元も大学卒の人材を使うノウハウを持っていないからだ。単なる地方なら言うまでもない。多くの地方は社会の変化に背を向けることを存在価値と勘違いしている。都会の喧騒から逃れるということは、一歩間違えば世界の動きに背を向けることにつながる。そのほうが変化を強いられるより楽で、弱者に優しく見えるからだ。しかし変化に対応できないから地方にしか住めないという人々の存在も無視することはできない。このジレンマを乗り越えるか乗り越えないかで、過疎化かまちおこしかの差が出るのだろう。

 そして、マスコミや国の舵取りをする人たちは、自分たちの住む、金のかかる都市生活こそが標準だと考えている。そしてそれ以外のほとんどすべての国の地域のことなど、想像する気もないようだ。彼らにとって地方は、たまに行って、ちょっと金を落として、スロータイムを買い取って、また帰っていく(つまり消費してゴミとして捨てていく)場所と化している。あるいは選挙前にちょろっと帰って、仕事ぶりの自慢をしては票を吸い上げるか。

 お金持ちの国、その実態は、大多数の国民が置かれている様々な貧困・困窮・格差の実態に対する鈍感さが支配する国だ。「パンがないなら、お菓子を食べればいいのに」という暴言を、他国の過去の話だと笑うことなどできない。

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