「揺れる大地」を観る2023年05月29日 20:36

 「揺れる大地」を観る。1948年のイタリア映画。監督はルキノ・ヴィスコンティ。

 ヴィスコンティの映画としては2作めにあたるらしい。タイトルから地震や災害の話と思われそうだが、全く関係ない。シチリア島(シシリアン・マフィアの出身地であり、「ニュー・シネマ・パラダイス」の舞台ともなった島)の貧しい漁村の一家の没落と再生の話だ。

 イタリア北部の発展とは対照的に、南部シチリア島は発展から取り残され、貧しい社会。戦後もそれは変わらず、貧しい漁村では仲買人の中間搾取が当然のように行われていた。それを疑問に思った一人の漁師が、仲買人と手を切って水産物を自分で販売しようとする。どこかで聞いたような話であり、現代日本では同じような取り組みが進んでいる。

 しかし戦後まもなくのこと、家を抵当に入れた借金を元手に事業を始めた主人公の漁師は、最初こそ大漁に恵まれたが、わずか一回の時化で漁具も漁船も失ってしまう。仲買人たちの嫌がらせで仕事もできず、また他の仕事をしようにも漁師以外に働く腕がない。恋人にも逃げられ、祖父は入院、借金は返済できず、家は差し押さえられ、弟はマフィアに、妹は色目を使う警察署長にいいようにされてしまう。とうとう悪い仲間と昼日中から飲んだくれ生活。

 それでもひょんなことから一人の少女に優しい声をかけられ、プライドも何もかも捨てて、再び仲買人のところへ仕事を貰いに行く。激しい嘲笑と侮蔑を受けながらもそれに耐え、雇われ漁師として海に出る。作品はここで終わる。

 役者は一人もいない。演じるのはみんな現地の人。それでも映画は成立する。もっともそれは本当の漁師や貧しい生活をしている人たちだからこそ。演技する必要がないからだ。どんなに一流でも偽物は偽物。本物の存在感にはかなわない。もっともその存在感を引き出す力は必要だが、さすがヴィスコンティ、文句なしである。

 救いがないといえばそのとおり。主人公一家はこれでもかとばかりに没落していく。それでも長女の凛とした佇まいや、主人公の意志の強さには、かすかな希望も感じられる。甘くなく、それでいて希望の種はきちんと撒かれている。後に退廃と没落を耽美的に描くヴィスコンティだが、この作品は徹底して硬派。ドキュメンタリー・タッチで見応えがある。

 それは逆に言えば、映画に娯楽と息抜きを求める人にはつらい作品だということだ。しかし、海外旅行熱が再燃するだの、高級品が売れるだのというニュースの影で、大勢の貧困にあえぐ人がたしかに存在するこの国で、いまこの作品に共感を感じ、勇気をもらえる人も少なくないのではないか。華やかな上っ面の虚飾の影にあるリアルな社会をしっかりと若いうちに掴んだヴィスコンティが、貴族や権力、過去の栄光にしがみつく人々、そして貴族でもあった自分の没落・退廃を描くのも、華やかさの虚飾をよく知っていたからかもしれない。

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