「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」鑑賞2016年05月04日 07:16

 「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」を鑑賞

 劇場版のクレヨンしんちゃんは、キャラクターギャグの定石を守れば、かなり自由な作品作りが可能で、突っ込んだ作品が多いことはよく知られている。チャップリンの喜劇や松竹のファミリーコメディのような風合いを持っている。ギャグが下品だが、五歳児が喜ぶギャグを考えれば当然。誰だって五歳児の頃はあったし、自分の過去を振り返りながら笑えばよいだけのこと。要するに「野原しんのすけ」は実にリアルに描かれた五歳児ということだ。

 今年は一言で言えば「母」の作品。「父」が子どもへの盲目的な愛情で暴走し、「母」がすべてを包含して局面を打開する。したがって大人側の主導権を握るのはみさえということになる。一昨年踏ん張り、去年も奮闘したひろしは、今回はやや腰が引けた格好だが、相変わらずなりふり構わぬ家族愛を披露して、子どもへの盲目的な愛情を体現している。いつものようにストレートで本質を突く子育て論をさり気なく吐くところも定番。

 おなじみの追っかけっこも健在。子どもが親の愛情を信じつつ、親から少しずつ自立していく姿は、安定感のあるファミリー映画として王道を行く。安心して見ることができ、世代を越えて笑える。かつて良質の喜劇が持っていたフォーマットをみごとに生み出している。生身ではないアニメーションだからこそのバリエーションの豊かさもプラス要因。この作品群は東宝版の「寅さん」的なポジションになっているのではないだろうか。

 ラスト、みさえの大見得を直立不動で聞き、気合の入った返事を返すしんのすけは、実はこの作品の中で最も大きな愛情を支えにした、もっとも自立した人間なのではないだろうか。この作品を見るたびに、凡百の教育論の空虚さ、シンプルな家族の愛情の強さを思う。