年賀状の限界2016年12月23日 23:04

 年末。年賀状の季節だ。

 来年から年賀状以外のはがきの送料も値上げだそうだが、年賀状(もちろん投函期間に制限あり)は据え置き。嬉しいというより、JPの利益誘導を強く感じてしまう。

 よく「パソコンで印刷した年賀状は味気ない」「手描きの年賀状でないと心がこもっていると感じない」などと言われるが、正直、心をこめて手書きする年賀状の数は、そんなにたくさんできるものなのだろうか。年賀状の数も100枚、200枚ともなると、少なくとも私にはそんな芸当は到底できない。

 お出来になる方は、どうぞ心を数百枚もの年賀状に手ずからしたためられればよかろう。だが、それをあたりまえのことのように吹聴されるのは迷惑だ。数百枚分の1の心のこもった年賀状と、わずか数枚分の1の心のこもった年賀状、どちらのほうがよりありがたいか。

 年賀状はいただくのが当たり前のものではない。だからこそ、いただけるのがありがたく、嬉しい。だすのが当たり前、もらうのが当たり前では嬉しさよりも義務感が先に立つ人が現れるのはそれこそ当然だろう。義務感が重くなったからこその年賀状離れとも言えるのではなかろうか。

 メールやLINEでのメッセージは、カジュアルで義務感を感じることもなく、負担も軽い。ねばならないでがんじがらめ、建前優先の年賀状は行き詰まってしまうのではなかろうか。もっとも、そうすればそれこそ「もらえて嬉しい」レアなものこそ年賀状になるのかもしれない。