年賀状の限界2016年12月23日 23:04

 年末。年賀状の季節だ。

 来年から年賀状以外のはがきの送料も値上げだそうだが、年賀状(もちろん投函期間に制限あり)は据え置き。嬉しいというより、JPの利益誘導を強く感じてしまう。

 よく「パソコンで印刷した年賀状は味気ない」「手描きの年賀状でないと心がこもっていると感じない」などと言われるが、正直、心をこめて手書きする年賀状の数は、そんなにたくさんできるものなのだろうか。年賀状の数も100枚、200枚ともなると、少なくとも私にはそんな芸当は到底できない。

 お出来になる方は、どうぞ心を数百枚もの年賀状に手ずからしたためられればよかろう。だが、それをあたりまえのことのように吹聴されるのは迷惑だ。数百枚分の1の心のこもった年賀状と、わずか数枚分の1の心のこもった年賀状、どちらのほうがよりありがたいか。

 年賀状はいただくのが当たり前のものではない。だからこそ、いただけるのがありがたく、嬉しい。だすのが当たり前、もらうのが当たり前では嬉しさよりも義務感が先に立つ人が現れるのはそれこそ当然だろう。義務感が重くなったからこその年賀状離れとも言えるのではなかろうか。

 メールやLINEでのメッセージは、カジュアルで義務感を感じることもなく、負担も軽い。ねばならないでがんじがらめ、建前優先の年賀状は行き詰まってしまうのではなかろうか。もっとも、そうすればそれこそ「もらえて嬉しい」レアなものこそ年賀状になるのかもしれない。

クリスマス2016年12月25日 22:50

 この国のクリスマスは、すでに宗教行事でもなんでもなく、子どもを中心としたプレゼント景気による消費奨励と、ややえげつない少子化対策に特化しているので、すでに多くの人々が本当の意味など忘れ果てているのではないかと思ってしまう。

 クリスマスを一人で過ごすのは、何でも大問題となっているようだ。一人暮らしで仕事に明け暮れる国民に対して、戦場を職場に、武器を情報端末に持ち替えて、大戦中同様に国民を経済戦争に駆り立てておいて、クリスマスには異性と同伴しろと言うのだから恐れ入る。戦時中のダークな休養まで連想されるようで、かなり心が暗くなる。

 一人心静かに過ごすのも、家族と楽しく過ごすのも、もちろん恋人と過ごすのも、過ごす側の自由、他人にとやかく言われる筋合いはないではないか。世の中には野暮な連中が多すぎる。そんなことにかまける暇があるのなら、暮らしを破壊することを前提とした今の労働概念に、どう平和をもたらすべきかを考える事のほうが先決だろう。芸能界の某グループが大晦日に営業しないことをとやかく言うより、なぜ彼らが営業しない(またはできない)のかを考えるほうがよほど建設的だ。そうすれば、多くの国民にとって嬉しいプレゼントが生まれるかもしれない。

ジョージ・マイケルの訃報2016年12月26日 22:36

 WHAM!のメンバーだった、そしてもちろんソロでも活躍したジョージ・マイケルが心臓発作で死去した。まだ50代前半の若さだという。

 ことしは、デヴィッド・ボウイが死去、プリンスも死去、デッド・オア・アライブのピート・バーンズも死去。洋楽界は寂しいニュースが続いた。

 12月25日、クリスマスが命日といえば、チャールズ・チャップリンが有名だが、他にもジェームズ・ブラウン、日本では逸見政孝もそうだった。ジョージ・マイケルの場合、有名な曲に「ラスト・クリスマス」があるのが、なんとも因縁話っぽく感じる向きも多いだろう。曲名の意味は「去年のクリスマス」だが、彼にとっては今年が文字通り「最後のクリスマス」になってしまった。

 別れがあれば出会いもあるのが世の常。来年はどんな新しい才能が現れてくるのだろうか。

キャリー・フィッシャー訃報2016年12月28日 22:49

 キャリー・フィッシャーの訃報も飛び込んできた。

 飛行機内で心臓発作、集中治療室に運ばれたというニュースは知っていたが、まさか亡くなろうとは。

 スタートレックも、チェコフ役のアントン・イェルチンが事故で急死、そして今度はスター・ウォーズのレイア姫。ミュージシャンの訃報に加え、2大SFシリーズにも訃報が続いた。

 そしてまた地震だ。今年は国内だけでなく、国外にも地震も多かった。比喩的にも、アメリカ大統領選挙で激震。これから世界は色んな意味で大揺れするのだろうか。

年の瀬に2016年12月31日 08:49

 今年も大晦日だ。世の中では区切りの日ということになる。「去年今年貫く棒の如きもの」という句もあるが、長餅を飲むように日々を暮らすのも大変だ。一区切りはどこかでしなくては。

 今年もいろいろな災害が起きた。人災、天災。

 芸能界やスポーツ界のゴタゴタも多かった気がする。某グループの解散劇など、これまで暗黙の中にあった芸能界の前近代的システムの片鱗があらわになり、それに国内だけでなく周辺諸国からもネガティブな反応が出されている。スポーツ界でも勝利至上主義によって食い物にされる選手の人生や、前近代的権力構造による指導という名を借りた暴力や強要がいじめという形や薬物乱用という形でむき出しになってきた。

 昔は良かったなどという世迷い事は、今年の区切りでもうやめにしたらどうだろう。昔はそういうデタラメと、唾棄すべき権力欲の満足が半ば公然と貪れていただけだ。モラルが浸透し、多くの視点から物事が捉えられ、発信されるようになった現在、そういった汚れた既得権益は許されなくなっただけのことだ。都合の悪いことは、見なかったことにする、というほど世の中は牧歌的でも前近代的でもない。それに気づかない連中が時代遅れの行動をダラダラと続けた結果、世間から総スカンを喰らい始めただけのことだろう。モラルを学ぶのはどちらの方か。

 天に唾する言説かもしれない。自戒を込めて。来年も学び続けよう。