喉元過ぎれば2017年08月14日 22:51

 前回の東京オリンピック直前、この国ではゴミのポイ捨てが異常に多かった。街中ゴミだらけ。そこで全国一斉にゴミを拾い、ゴミを捨てない運動が繰り広げられた。そのせいもあってか、日本の街角でゴミが散乱する光景は少なくなった。

 人混みの中での咥えたばこや指挟みたばこもずいぶん減った。人混みの中で、指に挟んだままぶらぶら火の着いたたばこを振り回されたのでは、周囲の人はたまったものではないが、それがまかり通っていたのもつい最近までのことだった。

 しかし、最近はどうだろうか。スーパーの駐車場のそこここに放置されたままの、本来そこにある事自体おかしいカート。駐車場に大量に捨ててある車内ゴミ。車の窓から吸い殻が飛び出してくるのも、まだ目にすることがある。喉元過ぎればというやつだろうか。

 海外旅行での東アジア人のモラルが低いという言説もよく耳にする。いかにも日本人はそれよりモラルが高いとでも言いたげなのだが、60年代の日本の観光客がどれほど顰蹙を買っていたか。バブル期あたりで、下品だが金払いがいい(というより、値切るという概念が薄い)ことで、若干株が上がったのと、贅沢のおかげで目が肥えた人が増えたおかげで、やっとブザマよりマシ担っているだけだ。かつての日本人のモラルの程度も、筒井康隆の「農協月へ行く」で痛烈に皮肉られているが、決して否定できるものではなかった。これもまた「喉元過ぎれば」というやつだろう。

 人の本性は、そう簡単に変わるものではない。忘れてしまいたいダークサイドも同様。だからこそ、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉もある。他者や過去のダークサイドは、そのまま自分自身の忘れてしまいたいダークサイドなのかも知れないのだから。

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