「彼女が消えた浜辺」を観る2018年09月18日 23:52

 イラン映画「彼女が消えた浜辺」を観る。

 郵便受けのような暗い箱の中から、開口部から漏れる僅かな光と、何かが放り込まれているようなイメージで始まる。このイメージこそが主人公の冒頭の心理の象徴のように思える。

 画面は次の瞬間、トンネルの中を走る車へと変わり、車の中ではバカ騒ぎの女性たち。イランの女性といえば、我々は抑圧されているようなイメージがあるが、それを見事にぶち壊すはじけっぷりだ。

 どうやら家族旅行らしい。車3代に分乗した、兄弟らしい数世帯がバカンスで別荘に泊まりに行く途中。家長的夫婦の妻が、なにやら強引に若い女性を旅行に誘っているらしい。この女性、美人で性格もよく、ユーモアもあり、家族にもすぐ馴染んだ。どうやら家族の中でもドイツに居を置くバツイチの男とくっつけてやろうとの魂胆が、家長の妻にはあったらしい。家長の妻が予約したはずの別荘は急に使えなくなり、カスピ海の海辺の使われていない家があてがわれる。この辺、家長の妻の無計画性、いきあたりばったりなところが伺える。
 連れてこられた女性、エリは3泊の家族旅行に1泊しか付き合う予定がなく、2日目にはギクシャクし始める。そして、子供たちの面倒を見るエリが無心にタコを上げていると…

 ここまでが冗長のように感じるかもしれないが、ここまでが丁寧に描かれているからこそ、この後の展開が生きてくる。突然脈略もなく銃声のような大きな音、溺れる子供と救出劇、そしてエリが消える…

 家長の妻の、善意とはいえ、その場のがれの嘘がどんどん膨れ上がり、家族が振り回され、険悪になり、人間関係が崩れていく。そしてラスト、砂浜にスタックした車に悪戦苦闘する家族の男たちが、この家族の行く末を、そしてこの物語の背景にあるイランの風習、信仰と現代社会との関わりの問題点を象徴しているようだ。