「菊とギロチン」を観る2021年12月28日 20:58

 「菊とギロチン」を観る。

 2018年の日本映画。3時間のボリュームがあるが、あまり長さは感じなかった。

 大正末、関東大震災後の日本、左翼思想と過激な行動を行っていた実在の結社「ギロチン社」に身を置く青年と、貧困や差別やDVから逃げ出した女性たちが集う女相撲一座に身を置くヒロインの四股名、「花菊」との物語と言っていいだろう。

 関東大震災は様々な作品でも触れられ、学校でも教えられているが、震災後の被災者が難民化して貧困のどん底で放浪していたというのははじめて知った。たしかに考えてみれば当然のことだ。

 それにしても、この作品に登場する男たちの何と野蛮で殺伐としたことか。暴力、それも弱いものに対する容赦のない暴力。DVなど当たり前のような世界。女相撲の座長(男)も身内の行事役の若い男には殴る、蹴る、罵倒するとさんざんだ。もっとも彼は力士の女性には決して手を上げないし、むしろ彼女たちを守ろうと努めているのがわかる。

 ギロチン社に関わる登場人物はほぼ実在の人物であり、映画ラストには彼らの行く末が提示される。弾圧され、処刑され、獄死し、消息不明となり…誰も彼もみな、善人であり、同時に悪党でもある。そして、女は相撲を拠り所にして立ち上がる。だがその女相撲もまた…

 3時間が必要なほどのテーマをつぎ込み、それでもまだ描ききれないほどの重い内容だが、どこか醒めた視点を感じる。それが重苦しさからこの作品を解放しているようにも感じた。

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