「手の倫理」を読む2023年04月10日 22:08

 「手の倫理」を読む。著者は伊藤亜紗。

 「ふれる」と「さわる」。確かに語感が違う。「ふれる」には好意的で肯定的な意味合いを感じ、「さわる」にはどことなくよそよそしく、無神経な感じがある。

 この語感の違いを手がかりに、身体接触と相互の人格の乗り入れとの関連を述べたのがこの本。「ふれる」行為は接触により互いの距離がゼロになるのではなく、マイナスとなる、つまり触れ合うと互いの存在が相互に自分の内部に入り込んでくるという考え方は面白い。

 後半は著者自身の体験からくるエピソードの比重が大きくなるが、それでもうなずける一般化がなされているように読める。

 ただ、きっかけが日本語の「ふれる」「さわる」の差異から来ているところが、著者の論の一般化をそのまま受け入れることを躊躇させる。接触を表す単語がどの言語でも日本語同様に差異を持っているのかが本文には触れられていない。現状ではあくまで「日本語」を思考の基盤に持っていることが前提の論である。妙に納得してしまうと、人類普遍の感覚なのかどうかを検証し忘れてしまいそうだが、そこは注意が必要だ。

 あくまで、日本語圏における、日本語の語彙の共通認識がある社会の中での仮説というのが現在のこの著作の位置だろう。他の言語ではもっと別の考え方や、もっとラフな考え方、あるいはもっと精緻な考え方もある可能性がある。

 真面目に捉えすぎず、あくまで「へぇ」レベルでとどめておくのが現在では妥当な内容だ。間違っても「こういう認識が持てる日本語・日本人は他の文化より優れている」などというみっともない誤解はすべきではない。

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