「消えた画 クメール・ルージュの真実」を観る ― 2022年02月13日 13:52
「消えた画 クメール・ルージュの真実」を観る。2013年のフランス・カンボジア政策のドキュメンタリー映画。
クメール・ルージュ統治下の「民主カンプチア」時代の粛清と虐殺についてのドキュメンタリーだが、時折挟まれる映像以外はそのほとんどが、虐殺された犠牲者が埋められた土地の土で作られた土人形によるジオラマ映像となっている。
政治的理屈によって過去を剥奪され、学問は敵だと排斥され、名を奪われ、生活を奪われ、食料を奪われ、命も奪われ、記録すら奪われる。残るのは人の心の中の記憶のみ。それも存在が気づかれれば、記憶の持ち主の命ごと抹消される。反知性主義の行き着く先の地獄である。キャラクターが土人形だからこそ、我々観る側の感情が人形の表情を補い、より深く心に入り込んでくる。
社会への不満を暴力的に解消することで、集団を形成し、それを率いる。そうすることで権力を得、その権力を保持し続けるために、それを脅かす恐れのある存在を排除し、粛清する。その底辺にあるのは欲望と嫉妬と誇大妄想であり、それを制御できるほどの知性や理性の持ち合わせはない。理性は欲望の敵であり、真っ先に排除しなければならない。独裁者の頭の中は大同小異だ。ナチス然り、スターリン然り、クメール・ルージュ然り…子供番組の悪の組織は、その見事なまでのカリカチュアだ。
独裁者が人々を支配するのも同じ。「パンとサーカス」。職権や利権を付与したり、剥奪したりして人を支配し、一時の快楽で手なづけ、それが奪われる恐怖を煽ってバッシングを誘導する。グルメとスポーツで埋め尽くされる番組コンテンツを彷彿とさせる。
共産主義や独裁者を貶めることなど、何の解決にもならない。今、世界中で、この国で、そういう輩が力を得、発言力を増し、支持を集めている現実がある。知性や理性がある者もない者も、みな等しく世界に発信できる今、独裁と粛清の恐怖はこれまで以上に身近になる恐れがある。そして、知性と理性を衰退させるような情報も世界に溢れかえっている。
素朴な泥人形たちは、危機に対する警告を、静かに、そして切実に伝えてくる。
クメール・ルージュ統治下の「民主カンプチア」時代の粛清と虐殺についてのドキュメンタリーだが、時折挟まれる映像以外はそのほとんどが、虐殺された犠牲者が埋められた土地の土で作られた土人形によるジオラマ映像となっている。
政治的理屈によって過去を剥奪され、学問は敵だと排斥され、名を奪われ、生活を奪われ、食料を奪われ、命も奪われ、記録すら奪われる。残るのは人の心の中の記憶のみ。それも存在が気づかれれば、記憶の持ち主の命ごと抹消される。反知性主義の行き着く先の地獄である。キャラクターが土人形だからこそ、我々観る側の感情が人形の表情を補い、より深く心に入り込んでくる。
社会への不満を暴力的に解消することで、集団を形成し、それを率いる。そうすることで権力を得、その権力を保持し続けるために、それを脅かす恐れのある存在を排除し、粛清する。その底辺にあるのは欲望と嫉妬と誇大妄想であり、それを制御できるほどの知性や理性の持ち合わせはない。理性は欲望の敵であり、真っ先に排除しなければならない。独裁者の頭の中は大同小異だ。ナチス然り、スターリン然り、クメール・ルージュ然り…子供番組の悪の組織は、その見事なまでのカリカチュアだ。
独裁者が人々を支配するのも同じ。「パンとサーカス」。職権や利権を付与したり、剥奪したりして人を支配し、一時の快楽で手なづけ、それが奪われる恐怖を煽ってバッシングを誘導する。グルメとスポーツで埋め尽くされる番組コンテンツを彷彿とさせる。
共産主義や独裁者を貶めることなど、何の解決にもならない。今、世界中で、この国で、そういう輩が力を得、発言力を増し、支持を集めている現実がある。知性や理性がある者もない者も、みな等しく世界に発信できる今、独裁と粛清の恐怖はこれまで以上に身近になる恐れがある。そして、知性と理性を衰退させるような情報も世界に溢れかえっている。
素朴な泥人形たちは、危機に対する警告を、静かに、そして切実に伝えてくる。
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