関数電卓 ― 2016年07月18日 08:50
愛用の関数電卓(同機種2台)のうちの1台が壊れた。
というより、液晶のドットが一部抜けてしまい、表示エラーで信頼性がなくなってしまった。
なにせ20年以上も前に、真空管アンプを設計するために購入したもの。もう一台の機体はいまだに職場で統計処理に利用している。毎日持ち帰ればいいのだが、いざという時に忘れてしまうことが何度かあり、2台持ちしていた。機種はcasioのfx-4500P。
重宝したのがエンジニアリング機能。電子部品では頻出のM(メガ)、k(キロ)、m(ミリ)、μ(マイクロ)、p(ピコ)を直で入力、演算表示できるので、アンプ設計には重宝する必須機能だ。
しかし、いざ買い替えとなると、この機能がある電卓の少ないこと。地方の家電店の店舗では、20年前には考えられないほど廉価な関数電卓が多数販売されているが、エンジニアリング機能となると、ニーズがないのだろう。なかなか見つからない。
結局、ネット購入ということになるのだろうか。地元の町の店でのお買い物(それもオタク系オヤジの)環境は、20年前どころか、30年前に逆戻りである。
オタクオヤジ系のお買い物といえば、地元の模型店には「大人が静かに楽しむ店です。お子様はご遠慮ください」と表示するようになったところがある。客が高齢化するのはともかく、これでは社会の中での「大人の楽しみ」はどうなるのだろう。大人が子どもと同じ視線で、「どうだ!おいちゃんはすごいだろう?」なんて稚気あふれる自慢をし、子どもが「おいちゃん、すげー!」と賞賛する…大人の大切な社会活動と思うのだが…閑話休題!
というより、液晶のドットが一部抜けてしまい、表示エラーで信頼性がなくなってしまった。
なにせ20年以上も前に、真空管アンプを設計するために購入したもの。もう一台の機体はいまだに職場で統計処理に利用している。毎日持ち帰ればいいのだが、いざという時に忘れてしまうことが何度かあり、2台持ちしていた。機種はcasioのfx-4500P。
重宝したのがエンジニアリング機能。電子部品では頻出のM(メガ)、k(キロ)、m(ミリ)、μ(マイクロ)、p(ピコ)を直で入力、演算表示できるので、アンプ設計には重宝する必須機能だ。
しかし、いざ買い替えとなると、この機能がある電卓の少ないこと。地方の家電店の店舗では、20年前には考えられないほど廉価な関数電卓が多数販売されているが、エンジニアリング機能となると、ニーズがないのだろう。なかなか見つからない。
結局、ネット購入ということになるのだろうか。地元の町の店でのお買い物(それもオタク系オヤジの)環境は、20年前どころか、30年前に逆戻りである。
オタクオヤジ系のお買い物といえば、地元の模型店には「大人が静かに楽しむ店です。お子様はご遠慮ください」と表示するようになったところがある。客が高齢化するのはともかく、これでは社会の中での「大人の楽しみ」はどうなるのだろう。大人が子どもと同じ視線で、「どうだ!おいちゃんはすごいだろう?」なんて稚気あふれる自慢をし、子どもが「おいちゃん、すげー!」と賞賛する…大人の大切な社会活動と思うのだが…閑話休題!
ポケモンGO ― 2016年07月19日 22:18
アメリカで「ポケモンGO」が人気だ。
任天堂の株価も跳ね上がっているらしい。
ゲームはリアリティのあるヴァーチャル空間をプロデュースすることに血道を上げてきた。その成果がPS4であり、Xboxであることは言うまでもない。これらのハードは、現実にはありえない世界を現実世界に出現させるというベクトルで開発されてきた。
ところが、「ポケモンGO」は、現実を借景し、その中に架空の存在を侵入させるものだ。逆転の発想と言っていいだろう。シミュレートするのは架空の(それもリアルさはもとより求められていない)生き物であり、当然ハードウェアに対する要求も少ない。
また、元来ポケモンはゲームボーイを筐体として開発されたものだけに、アウトドアでの使用やタッチパネル操作への親和性も高い。長期にわたって様々なメディアミックスが行われ、広い年齢層へのアピールが可能であることも強みだった。
なにより、今回のポケモンGOは、ハードウェアの制限を取り払った点が画期的だろう。Xperia経由で、Windows10モバイルで、もちろんiPhone経由でもプレイできるフォーマットであるなら、ライバル会社のハードを経由して利益を引き出すこともできる。有料コンテンツを大切に育ててきたからこそできた、ハードからの脱却である。
任天堂の株価も跳ね上がっているらしい。
ゲームはリアリティのあるヴァーチャル空間をプロデュースすることに血道を上げてきた。その成果がPS4であり、Xboxであることは言うまでもない。これらのハードは、現実にはありえない世界を現実世界に出現させるというベクトルで開発されてきた。
ところが、「ポケモンGO」は、現実を借景し、その中に架空の存在を侵入させるものだ。逆転の発想と言っていいだろう。シミュレートするのは架空の(それもリアルさはもとより求められていない)生き物であり、当然ハードウェアに対する要求も少ない。
また、元来ポケモンはゲームボーイを筐体として開発されたものだけに、アウトドアでの使用やタッチパネル操作への親和性も高い。長期にわたって様々なメディアミックスが行われ、広い年齢層へのアピールが可能であることも強みだった。
なにより、今回のポケモンGOは、ハードウェアの制限を取り払った点が画期的だろう。Xperia経由で、Windows10モバイルで、もちろんiPhone経由でもプレイできるフォーマットであるなら、ライバル会社のハードを経由して利益を引き出すこともできる。有料コンテンツを大切に育ててきたからこそできた、ハードからの脱却である。
夏休み ― 2016年07月20日 22:52
夏休みシーズン到来!
と言っても、子供の頃ほど長い夏休みはないのだが。でも、子供の頃のインプリンティングだろうか、夏とか夏休みと聞くと、どことなく楽しい気分になる。
海水浴にもセミ取りにも行かなくなって久しいが、心はいつまでも惹かれている。もう二度と戻らない時間だからこそ、よけいに強く惹かれる。
蚊取り線香の匂い、朝の空気の感覚、ラジオ体操の音、蝉の声、体の奥に染み付いた夏は、エアコンの中で、また、暑い野外でスーツで彷徨う今の夏に比べて、どれほど輝いていただろう。
と言っても、子供の頃ほど長い夏休みはないのだが。でも、子供の頃のインプリンティングだろうか、夏とか夏休みと聞くと、どことなく楽しい気分になる。
海水浴にもセミ取りにも行かなくなって久しいが、心はいつまでも惹かれている。もう二度と戻らない時間だからこそ、よけいに強く惹かれる。
蚊取り線香の匂い、朝の空気の感覚、ラジオ体操の音、蝉の声、体の奥に染み付いた夏は、エアコンの中で、また、暑い野外でスーツで彷徨う今の夏に比べて、どれほど輝いていただろう。
「吸血鬼ドラキュラ」鑑賞 ― 2016年07月21日 23:08
「吸血鬼ドラキュラ」を鑑賞。
ドラキュラ伯爵にクリストファー・リー、ヴァン・ヘルシングにピーター・カッシング。古典的な作品である。
ブラム・ストーカーの原作に出てくる、当時のハイテク機器であった「老患蓄音・録音機」も登場するが、ドラキュラの変身設定はカット。当時の技術では難しく、予算もかかったのだろうが、それを逆手に取って、「棺探し」のサスペンスを作っているのは手堅い演出。
クリストファー・リーの、ノーブルと獣性が同居するような姿、ピーター・カッシングのストイックな雰囲気は実にいい。制作年代を考えればやむを得ないことだが、特撮は(特にラストは)少々辛いものがある。しかしこの二人がいることで、そのあたりの欠点はずいぶん緩和されている。
とはいえ、大時代的な作品であることは確か。これで震え上がる現代人はさすがに少ないだろう。ツッコミどころも多い。それでも一見の価値はある。
ドラキュラ伯爵にクリストファー・リー、ヴァン・ヘルシングにピーター・カッシング。古典的な作品である。
ブラム・ストーカーの原作に出てくる、当時のハイテク機器であった「老患蓄音・録音機」も登場するが、ドラキュラの変身設定はカット。当時の技術では難しく、予算もかかったのだろうが、それを逆手に取って、「棺探し」のサスペンスを作っているのは手堅い演出。
クリストファー・リーの、ノーブルと獣性が同居するような姿、ピーター・カッシングのストイックな雰囲気は実にいい。制作年代を考えればやむを得ないことだが、特撮は(特にラストは)少々辛いものがある。しかしこの二人がいることで、そのあたりの欠点はずいぶん緩和されている。
とはいえ、大時代的な作品であることは確か。これで震え上がる現代人はさすがに少ないだろう。ツッコミどころも多い。それでも一見の価値はある。
ドーピング ― 2016年07月23日 09:50
ロシアのドーピング事件がなかなか大変らしい。
この手の話が出ると、よく耳にするのが「スポーツマンシップ」という言葉だ。だが、この言葉、あくまでスポーツが「遊び」の域にあるときに使える言葉ではないだろうか。「遊び」というと過敏に反応する向きもあるが、要するに「アマチュア」、つまり生活や利益とは無縁なものという意味である。人間、遊びがなければ健康的な暮らしなどおぼつかない。必須だが優先順位が決して1位にならない行為を「遊び」と呼ぶと、私は考えている。
オリンピックが「アマチュア」でありえないのは、暗黙の事実である。「国」を背負った瞬間から、「国益」という利益はつきまとう。為政者にとって、オリンピックでの成績は国民に元気を与えるという「利益」を産み、「権力」を補強するのだから、すでに「アマチュア」や「遊び」とはかけ離れている。
もちろん、現在アマチュアスポーツにもスポーツ産業という営利団体がガッチリ食い込んでいる。早朝草野球チームにユニフォームの着用を求めたり、学校の部活動が「体操服」以外のユニフォームを着用することが当然のごとく求められ(て、家系の負担が増し)ている。おまけに昨今の民放バラエティ番組での学校部活動特集(もちろん視聴率とそれに連動するスポンサー収益という利益がガッチリ食いついている)も考えれば、アマチュアスポーツもすでに資本の搾取対象であり、「遊び」とは程遠い。
プロスポーツでもドーピングは問題視されているが、これは「スポーツマンシップ」の遵守がプロスポーツの重要な「営業品質」に関わるからだ。その意味では独占禁止法や商法などに対するコンプライアンスと同じ次元で「スポーツマンシップ」が求められていることになる。もちろん、営利企業であるプロスポーツは法の目をくぐり、あるいは違法ぎりぎりの線まで責めて「勝ち」にこだわるのが当然。本来の「スポーツマンシップ」をイメージ戦略として利用しているに過ぎない。
ドーピングなどという無理なことをすれば、人体にダメージを与えるのは明らかだ。それより「利益」が優先されるのだからたまらない。しかし、現在の「遊び」ではないスポーツ(これも良く耳にする言葉)は、究極の所ドーピング志向を脱することは本質的にできないだろう。薬物を使わなくても、食事制限やメニューコントロールも、広義のドーピング行為と言えるからだ。そのような特殊な食事に必要な「経済力」が物を言うのなら、結局スポーツも大局的に「金」の争いでしかない(例外は当然あるが、分母を考えれば、無視できるほどの数にしかならないだろう)。
いっそ、正直に「勝つためにはあらゆる手段を使う」と公言したほうがよほど誠実ではないだろうか。ありもしない「アマチュア」の「スポーツマンシップ」という幻想で、人体を危険に晒すような過酷な行為を選手に強いる存在があるという事実に蓋をすることのほうが問題だ。オリンピックだって、はっきりと「開催した場合の経済効果」という算盤勘定を公言して誘致・運営しているのだから、すでに「営業」であり、そこに厳密な「アマチュア」など存在し得ない。いくら選手がそのつもりでなくても、でかでかと商標の貼り付いた「ユニフォーム」を身にまとった時点で、広告活動(つまり営業・営利追求活動)をしていないなど、茶番である。
この手の話が出ると、よく耳にするのが「スポーツマンシップ」という言葉だ。だが、この言葉、あくまでスポーツが「遊び」の域にあるときに使える言葉ではないだろうか。「遊び」というと過敏に反応する向きもあるが、要するに「アマチュア」、つまり生活や利益とは無縁なものという意味である。人間、遊びがなければ健康的な暮らしなどおぼつかない。必須だが優先順位が決して1位にならない行為を「遊び」と呼ぶと、私は考えている。
オリンピックが「アマチュア」でありえないのは、暗黙の事実である。「国」を背負った瞬間から、「国益」という利益はつきまとう。為政者にとって、オリンピックでの成績は国民に元気を与えるという「利益」を産み、「権力」を補強するのだから、すでに「アマチュア」や「遊び」とはかけ離れている。
もちろん、現在アマチュアスポーツにもスポーツ産業という営利団体がガッチリ食い込んでいる。早朝草野球チームにユニフォームの着用を求めたり、学校の部活動が「体操服」以外のユニフォームを着用することが当然のごとく求められ(て、家系の負担が増し)ている。おまけに昨今の民放バラエティ番組での学校部活動特集(もちろん視聴率とそれに連動するスポンサー収益という利益がガッチリ食いついている)も考えれば、アマチュアスポーツもすでに資本の搾取対象であり、「遊び」とは程遠い。
プロスポーツでもドーピングは問題視されているが、これは「スポーツマンシップ」の遵守がプロスポーツの重要な「営業品質」に関わるからだ。その意味では独占禁止法や商法などに対するコンプライアンスと同じ次元で「スポーツマンシップ」が求められていることになる。もちろん、営利企業であるプロスポーツは法の目をくぐり、あるいは違法ぎりぎりの線まで責めて「勝ち」にこだわるのが当然。本来の「スポーツマンシップ」をイメージ戦略として利用しているに過ぎない。
ドーピングなどという無理なことをすれば、人体にダメージを与えるのは明らかだ。それより「利益」が優先されるのだからたまらない。しかし、現在の「遊び」ではないスポーツ(これも良く耳にする言葉)は、究極の所ドーピング志向を脱することは本質的にできないだろう。薬物を使わなくても、食事制限やメニューコントロールも、広義のドーピング行為と言えるからだ。そのような特殊な食事に必要な「経済力」が物を言うのなら、結局スポーツも大局的に「金」の争いでしかない(例外は当然あるが、分母を考えれば、無視できるほどの数にしかならないだろう)。
いっそ、正直に「勝つためにはあらゆる手段を使う」と公言したほうがよほど誠実ではないだろうか。ありもしない「アマチュア」の「スポーツマンシップ」という幻想で、人体を危険に晒すような過酷な行為を選手に強いる存在があるという事実に蓋をすることのほうが問題だ。オリンピックだって、はっきりと「開催した場合の経済効果」という算盤勘定を公言して誘致・運営しているのだから、すでに「営業」であり、そこに厳密な「アマチュア」など存在し得ない。いくら選手がそのつもりでなくても、でかでかと商標の貼り付いた「ユニフォーム」を身にまとった時点で、広告活動(つまり営業・営利追求活動)をしていないなど、茶番である。
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