「赤い河」を観る2019年01月06日 22:01

 「赤い河」を観る。1948年制作、ハワード・ホークス監督に主演ジョン・ウェインと来れば、往年の西部劇の王道のような作品だ。

 恋人を失い、14年の苦難の末、わずか一つがいの牛を1万頭近くにまで増やした大牧場の主、ダンソン。だが、南北戦争のあおりを受けて、牧場経営は困窮。ダンソンは9000頭の牛を引き連れ、商機を求めて東部へと移動を開始する。かつて自分がその目で確かめた鉄道を当てにして。
 しかし、複数の伝聞情報はダンソンの目指した場所より近くまで鉄道が伸びていることを伝えた。伝聞情報を信用せず、強引に東部への移動を強行しようとするダンソン。一行の支持はうすれ、ダンソンの養子マシューまでがダンソンに反抗、足を負傷したダンソンは置き去りにされ、一行はマシューが引き連れて近くの街へ。一方復讐に燃えるダンソンはマシューの後を追う。だが、ダンソンとマシューは心の底では互いを認め合っていた。

 鉄の意志の男二人の意地の張り合いを制すのは、鉄火肌の西部の女。これもまた西部劇のお約束だ。伏線の回収がうまく行っていなかったり、オチが強引だったりするのはご愛嬌。日本で言えば時代劇なのだから、細かなところをあげつらっても仕方がない。
数千頭の牛の大暴走や移動の苦難、先住民や盗賊の恐怖など、スリルもある。史観が現代から見ればかなり偏っていたり、差別的であったりするのが気になる向きもあるだろうが、製作年代を考えればこれもやむをえまい。

 殴り合い、女にどやされ、頭が冷え、そして仲良くなる。どこかで見たような話の原型が西部劇にもあるのかもしれない。