自己責任とは?2020年04月26日 08:15

 営業自粛要請に従わなかった、あるいは従えなかったパチンコ店の店名が公表された。背に腹は変えられぬと営業を続けていたのかもしれない。従業員も含めた店の営業に責任をもたねばならない経営者の立場からすれば、そういう選択をする可能性は否定できない。要請とは紳士協定のようなものであって、「紳士」をやっていては路頭に迷ってしまうとなれば、生きるために「紳士」を捨てることも選択肢にあがってくるだろう。

 店名を公表された店に、客が殺到していると言う。自粛は強制ではないのだから、問題ないといい、客も「自己責任」で訪れているのだから、問題ない」のだそうだ。自分一人で勝手に自粛を破り、自分一人で勝手に病気になり、最悪の場合、自分一人だけで末期を迎えるというのなら、自己責任は完全にとりきれるだろう。

 問題は、今回の自粛が「感染症対策」であるということだ。感染症である以上、対象は不特定多数の人間である。感染の危険性が非常に高い場所を維持存続する場合、営業者、従業員のみならず、「不特定多数」に対する責任が発生する。客も同様。自分が自己責任で感染した場合、それによって「不特定多数」の感染リスクを発生させていることをどれほど考えているのだろうか。

 家にずっといるのが辛いのはわかっている。だが、その辛さに耐えるのは自分一人。これなら「自己責任」は全うできるだろう。だが「不特定多数」に対して、一個の個人が「自己責任」などとれるはずがない。「自己責任」とは、自分一人だけで自己完結できるものに過ぎず、実際そんなことができるものなど、ほんの僅かのものでしかない(家事全般だって一人では手が回らないことが多い。)。

 家にじっとしていることすら「責任」持ってできないのなら、「自己責任」など、ただの言い訳に過ぎない。正直に「パチンコ依存症」「ギャンブル依存症」「スポーツ依存症」と認めればいいではないか。「ゲーム依存症」のほうが、今ならよほどマシな「自己責任」をとっている。