「シェルブールの雨傘」を観る ― 2020年05月05日 22:54
「シェルブールの雨傘」を観る。
これも内容は知っていても、きちんと見ていなかった作品の一つ。テーマソングはあまりに有名だし、主演女優はカトリーヌ・ドヌーヴ。是枝裕和の去年の作品「真実」に、ジュリエット・ビノシュらとともに出演したのでも有名。
この作品当時、ドヌーヴは20歳になるかならないか。可愛らしい17歳の少女から23歳の母親までを演じているが、まあ綺麗なこと。この作品で一気にスターになったのもよくわかる。
レチタティーヴォ(語り)のない、すべてのセリフが歌というのがこの作品最大の特徴。当然歌は(つまりセリフは)すべて歌手の吹き替え。それでも違和感がないのだから見事。ストーリーは典型的な悲恋物なのだが、映像美と歌とドヌーヴで見事に押し切っている。
とはいえ、監督はヌーヴェルヴァーグの巨匠の一人、ジャック・ドゥミ。若手女優の魅力だけで押し切るような監督ではない。よく見ていくと、物語の古典的骨子に沿っていろいろな仕掛けも見え隠れする。
まず、若い二人、ギイとジュヌヴィエーヴが最初に登場して繰り出すデートの場所はオペラ劇場。そこでかかっているのは、フランスのお国物とはいえ、「カルメン」である。移り気なファム・ファタールのカルメンであって、「プリティ・ウーマン」に登場した「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」ではない。こちらのヒロイン、ヴィオレッタは愛する男のためにあえて身を引き、死んでいくヒロイン。カルメンとは対照的だ。すでに冒頭のオペラの選択からして、この二人の行く末は暗示されている。また、ドン・ホセ同様、ギイにはマドレーヌという幼馴染の娘がいる。
莫大な課税でジュヌヴィエーヴと母親の傘店は経営の危機を迎えるのだが、その割には母親はおしゃれでどこか世離れしている。このあたり、この親子の経済観念や社会的観念の薄さがうかがえる。そして、ギイとジュヌヴィエーヴの別れのシーン。ギイを乗せた列車がホームを過ぎていくと、あっさりと列車に背を向けていってしまうジュヌヴィエーヴ。名シーンだが演出は冷淡だ。
ラストシーン、結局二人は別々の結婚をし、偶然、ほんの数分再会する。娘と二人、自家用車に乗り、高価な毛皮のコートを来たジュヌヴィエーヴ。しかし娘と二人と言いながらその表情は硬く、やつれさえ感じる。一方ギイは自暴自棄から立ち直り、幼馴染のマドレーヌとの間に息子もできている。二人の会話はどことなくぎこちない。ジュヌヴィエーヴが雪の中車を出すのと入れ替わりに、マドレーヌと息子がギイのところに帰ってくる。温かい室内、幸せそうな三人、そしてなんといっても、当初暗くおずおずとした表情と演技だったマドレーヌの、輝かんばかりの幸せそうな表情。ジュヌヴィエーヴとマドレーヌが完全に入れ替わってしまったかのような対照。シェルブールからクリスマスの夜、雪の中をパリまで車で帰るジュヌヴィエーヴの前途は暗く冷たい。このあとのドヌーヴは生活に疲れ、不満に苛立ち、なにかに憑かれてしまったような役が多くなるが、因縁めいたものも感じた。
余談だが、シェルブールからパリまでは約360km。当時の車なら5〜6時間はかかるのではないか。降りしきり積もる雪の夜中、ジュヌヴィエーヴ親子の旅路は安全なのだろうか…
これも内容は知っていても、きちんと見ていなかった作品の一つ。テーマソングはあまりに有名だし、主演女優はカトリーヌ・ドヌーヴ。是枝裕和の去年の作品「真実」に、ジュリエット・ビノシュらとともに出演したのでも有名。
この作品当時、ドヌーヴは20歳になるかならないか。可愛らしい17歳の少女から23歳の母親までを演じているが、まあ綺麗なこと。この作品で一気にスターになったのもよくわかる。
レチタティーヴォ(語り)のない、すべてのセリフが歌というのがこの作品最大の特徴。当然歌は(つまりセリフは)すべて歌手の吹き替え。それでも違和感がないのだから見事。ストーリーは典型的な悲恋物なのだが、映像美と歌とドヌーヴで見事に押し切っている。
とはいえ、監督はヌーヴェルヴァーグの巨匠の一人、ジャック・ドゥミ。若手女優の魅力だけで押し切るような監督ではない。よく見ていくと、物語の古典的骨子に沿っていろいろな仕掛けも見え隠れする。
まず、若い二人、ギイとジュヌヴィエーヴが最初に登場して繰り出すデートの場所はオペラ劇場。そこでかかっているのは、フランスのお国物とはいえ、「カルメン」である。移り気なファム・ファタールのカルメンであって、「プリティ・ウーマン」に登場した「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」ではない。こちらのヒロイン、ヴィオレッタは愛する男のためにあえて身を引き、死んでいくヒロイン。カルメンとは対照的だ。すでに冒頭のオペラの選択からして、この二人の行く末は暗示されている。また、ドン・ホセ同様、ギイにはマドレーヌという幼馴染の娘がいる。
莫大な課税でジュヌヴィエーヴと母親の傘店は経営の危機を迎えるのだが、その割には母親はおしゃれでどこか世離れしている。このあたり、この親子の経済観念や社会的観念の薄さがうかがえる。そして、ギイとジュヌヴィエーヴの別れのシーン。ギイを乗せた列車がホームを過ぎていくと、あっさりと列車に背を向けていってしまうジュヌヴィエーヴ。名シーンだが演出は冷淡だ。
ラストシーン、結局二人は別々の結婚をし、偶然、ほんの数分再会する。娘と二人、自家用車に乗り、高価な毛皮のコートを来たジュヌヴィエーヴ。しかし娘と二人と言いながらその表情は硬く、やつれさえ感じる。一方ギイは自暴自棄から立ち直り、幼馴染のマドレーヌとの間に息子もできている。二人の会話はどことなくぎこちない。ジュヌヴィエーヴが雪の中車を出すのと入れ替わりに、マドレーヌと息子がギイのところに帰ってくる。温かい室内、幸せそうな三人、そしてなんといっても、当初暗くおずおずとした表情と演技だったマドレーヌの、輝かんばかりの幸せそうな表情。ジュヌヴィエーヴとマドレーヌが完全に入れ替わってしまったかのような対照。シェルブールからクリスマスの夜、雪の中をパリまで車で帰るジュヌヴィエーヴの前途は暗く冷たい。このあとのドヌーヴは生活に疲れ、不満に苛立ち、なにかに憑かれてしまったような役が多くなるが、因縁めいたものも感じた。
余談だが、シェルブールからパリまでは約360km。当時の車なら5〜6時間はかかるのではないか。降りしきり積もる雪の夜中、ジュヌヴィエーヴ親子の旅路は安全なのだろうか…
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