芸能人の政治発言2020年05月16日 10:41

 昨今のどさくさ紛れの火事場泥棒と呼ばれてもしかたのないようなタイミングで提出された某役職の定年延長法案。なぜこのタイミングでと考えると、さらなる勘ぐりができてしまうのは、私がゲスなのか、それともそんな勘ぐりを受けてしまうほど、某国の政治中枢の日頃の言動の積み重ねで信用が失墜してしまっているのか。

 そんななか、多方面からこの法案に対する反対が表明されている。この国では珍しく、芸能人からもネット上に意見が投稿されている。この国では芸能人が政治発言をするのはタブーだという空気が蔓延している(雇用状態を見ればこの空気が漂う理由も察しがつく)のだから、これはまさに一大事だ。今まで「ありえない」はずの層から意見が噴き上がったのだから、「関知しない」どころの騒ぎではない。

 ところが、このような芸能人の政治発言に対して「わかりもしないのに」「もっと勉強してから」などと否定的なコメントが付くという。若年層の意見に対しても同じようなコメントで否定が行われているという。

 選挙権もない若年層に対してなら「もっと勉強して」という言い草も通用するかもしれないが、それならそれで「勉強」の足りない部分をきちんと指摘すべきではないか。いいたい放題こき下ろしておいて放置は「勉強不足」の「子供」に対して無礼極まりない。特に高齢者。この「子供たち」に老後を支えてもらう立場なのだから、高飛車に構えるような自殺行為はすべきではない。

 一方、前述のような否定的文脈が、義務教育も終え、社会人として投票もでき、参政権もある「成年」に対してぶつけられるのは明らかに侮辱以外の何者でもない。それが「芸能人」に対してであろうとだ。たとえくだらないバラエティ番組で「おバカ」を売りにしてる芸能人であろうと、みんな「一票」をもち、自分の判断で投票する権利と能力を持っている。

 ネットでの配信は芸能人だけに影響力があるのだから、もっと自重しろとでも言いたいのだろうか。それなら集票さえできれば、某国の首長のように、国内外で眉をひそめられるようなぶざま極まりないツィートで世界中を引っ掻き回しても良いというのだろうか。

 もし「芸能人」が、政治発言や政治的行動をする能力をもちえない存在なのだと考えている向きがあるのなら、否定発言はもはや芸能人に対する差別と偏見、ヘイト発言にしかならない。他人を見下し、自分の保身(多くの場合、自分自身が能力の低さを自覚し、それを受容できない、ないしは自分の無能に対する強い恐怖が裏にある)のために芸能人を「サンドバック」にしているといっていい。そしてそういう「芸能人」を「ダシ」にして楽しんでいるのなら、これこそ「腐敗」そのものだ。

 あ、もしかしたら、否定発言は上述のことが全てよくわかっている人間が行っているのかもしれない。じゃあそれはどんな…いかんいかん…またゲスの勘ぐりが…自省自省…

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