「三体II:黒暗森林」読了 ― 2020年10月03日 10:55
「三体II:黒暗森林」を読了。
三体人の侵略艦隊が迫る中、三体人の量子コンピュータである「智子」によって地球の情報は完全に筒抜け状態。だが、三体人は完全な相互コミュニケーション能力を持っており、地球人類のような「腹芸」や「嘘」を把握できないことが判明。そこで、自分の頭の中だけで戦略を立て、それを誰にもさとられず実行するための権限とリソースを与えられた「面壁人」が人類の中から4人選ばれる。主人公はそのなかでも最も不可解な選ばれ方をし、活動も人類とは何の関係もない私生活充足のみ。だがどうやら彼こそが三体人が最も恐れる面壁人だった…
少々強引なオチの付け方のようにも思えるが、主人公が意外な形で問題の核心に近づき、おまけに情けない人物なのは同じ。ヘタレなのにやるときゃやる男とくれば、日本で一番有名なあの5歳児の父親のようなイメージか。
前作に続いてがさつな切れ者警官は健在。シリーズものにつきもののエピソード言及による読者サービス(前作の主人公のその後もさり気なく知らされる)もあって、上下二巻のボリューム(もっとも海外SFならこの程度の分量、上下二段組厚めのハードカバーでドンっと出版されていてもおかしくない。ハイペリオンに比べれば可愛い分量だ)を意識させない。
エンタメ小説としても文句なし。次作第三部でシリーズ完結なのだが、期待できるに違いない。何事もなく出版されることを祈るばかりだ。
三体人の侵略艦隊が迫る中、三体人の量子コンピュータである「智子」によって地球の情報は完全に筒抜け状態。だが、三体人は完全な相互コミュニケーション能力を持っており、地球人類のような「腹芸」や「嘘」を把握できないことが判明。そこで、自分の頭の中だけで戦略を立て、それを誰にもさとられず実行するための権限とリソースを与えられた「面壁人」が人類の中から4人選ばれる。主人公はそのなかでも最も不可解な選ばれ方をし、活動も人類とは何の関係もない私生活充足のみ。だがどうやら彼こそが三体人が最も恐れる面壁人だった…
少々強引なオチの付け方のようにも思えるが、主人公が意外な形で問題の核心に近づき、おまけに情けない人物なのは同じ。ヘタレなのにやるときゃやる男とくれば、日本で一番有名なあの5歳児の父親のようなイメージか。
前作に続いてがさつな切れ者警官は健在。シリーズものにつきもののエピソード言及による読者サービス(前作の主人公のその後もさり気なく知らされる)もあって、上下二巻のボリューム(もっとも海外SFならこの程度の分量、上下二段組厚めのハードカバーでドンっと出版されていてもおかしくない。ハイペリオンに比べれば可愛い分量だ)を意識させない。
エンタメ小説としても文句なし。次作第三部でシリーズ完結なのだが、期待できるに違いない。何事もなく出版されることを祈るばかりだ。
「鴛鴦歌合戦」を観る ― 2020年10月11日 22:31
マキノ雅弘監督の「鴛鴦歌合戦」を観る。
昔なつかしのLD時代から気になっていたが、なかなかご縁がなかった作品だった。やっと観ることができた。
1939年の時代劇オペレッタ。シリアスにみてはいけないし、音楽ももちろん当時のトレンドなのだから、今の目と耳では古さは否めない。映像もピントが甘く、ボケ気味。それでもすごい。
志村喬がまだ30代で見事な老け役、おまけに美声。「生きる」のゴンドラの歌が印象深いのは、本質的に美声で歌がうまかったからなのだとつくづく実感。
バカ殿は昭和の大歌手ディック・ミネ。もちろん若い。いかにもバカ殿風で板についている。
歌も戦前モダンの日本ジャズの香りが濃厚、歌は戦前歌唱だから、かなり声楽的だが、曲がなんとも素敵で、歌詞も外来語続出…このテイストは、そう、懐かしのあのマンガ「はいからさんが通る」のイメージか(つくねの東京タワーなんてセリフが大正時代に飛び出したなぁ)。
イケメンだけどどこか煮えきらないモテ役は片岡千恵蔵。彼を取り巻く女性が3人。これがまあみんな美人。現代でもこんな美人女優3人がそろうなんて珍しい(現代の女優は親しみをもってもらうために、どこかすこし美しくないところがあると言われる)。非の打ち所がない美人3人。
間もなくきな臭くなり、暗い世の中になる、そんな時期に、こんな洒落た小粋なオペレッタが、わずか2週間でできる底力。戦争で失われた文化力かもしれない。
劇中、志村喬のセリフ。「大事なことに気がつく時は、いつも手遅れになった時」。間もなく日本はそうなった。それは過去の話に過ぎないのだろうか。
昔なつかしのLD時代から気になっていたが、なかなかご縁がなかった作品だった。やっと観ることができた。
1939年の時代劇オペレッタ。シリアスにみてはいけないし、音楽ももちろん当時のトレンドなのだから、今の目と耳では古さは否めない。映像もピントが甘く、ボケ気味。それでもすごい。
志村喬がまだ30代で見事な老け役、おまけに美声。「生きる」のゴンドラの歌が印象深いのは、本質的に美声で歌がうまかったからなのだとつくづく実感。
バカ殿は昭和の大歌手ディック・ミネ。もちろん若い。いかにもバカ殿風で板についている。
歌も戦前モダンの日本ジャズの香りが濃厚、歌は戦前歌唱だから、かなり声楽的だが、曲がなんとも素敵で、歌詞も外来語続出…このテイストは、そう、懐かしのあのマンガ「はいからさんが通る」のイメージか(つくねの東京タワーなんてセリフが大正時代に飛び出したなぁ)。
イケメンだけどどこか煮えきらないモテ役は片岡千恵蔵。彼を取り巻く女性が3人。これがまあみんな美人。現代でもこんな美人女優3人がそろうなんて珍しい(現代の女優は親しみをもってもらうために、どこかすこし美しくないところがあると言われる)。非の打ち所がない美人3人。
間もなくきな臭くなり、暗い世の中になる、そんな時期に、こんな洒落た小粋なオペレッタが、わずか2週間でできる底力。戦争で失われた文化力かもしれない。
劇中、志村喬のセリフ。「大事なことに気がつく時は、いつも手遅れになった時」。間もなく日本はそうなった。それは過去の話に過ぎないのだろうか。
貧すれば鈍する ― 2020年10月25日 15:49
貧しくなると、日々の暮らしが苦しくなり、頭を働かせる余裕がなくなる。国が貧しくなると、国民の理性も鈍る。かくして第一次大戦の後、ドイツはワイマール憲法下でナチスの台頭を許した。
そんな時、為政者はアメとムチを使って国を支配する。ドイツ人に優遇と経済的保証と優越感というアメをばら撒き、その裏で社会的弱者とユダヤ民族に対する想像を絶する迫害というムチを振るった。異を唱えるものには反逆者のレッテルを貼り、アメで懐柔した国民による排斥を誘発した。
別にナチスドイツに限ったことではない。さんざっぱらナチスを悪の権化として叩き、コケにしたアメリカですら、社会的弱者を叩くことを抑えきれず、それを正当化する勢力が過半数を掌握したここ数年の惨状と醜態は周知の事実だ。
援助という金もアメとムチになる。物資も配給制になればアメとムチに早変わりだ。大戦中の日本であっても、検閲は紙の配給の有無が実効性を持っていたという。出版したくても紙が配給されない限り、出版不能だ。その配給を決定するのが権力側なら、十分思想への政治介入となる。
今は紙以外の媒体で思想信条を発信できる。だが、マスメディアには放送法というルールがあり、ネットも一部の稚拙なマスメディアが引き起こした嘆かわしい事件や、匿名性にあぐらをかいた不適切発言の多発をきっかけに、法規制やむなしの世論が起きている。たしかにネットでの言説やTV等の番組にはあまりに稚拙で容認しかねるような反人道的内容を散見するが、法の規制が一度かかれば「角を弛めて牛を殺す」ことになりかねない。
この国は、「法解釈」に関してはなかなかの言語力の持ち主がそろっているのだから。
金と規制は現代のアメとムチだ。そして国が貧しくなると、民主主義の機能はどうなるか。貧しくなるのはまず金、そして知性だ。
ガチパルピの「第六ポンプ」のようになるのか。
どこかの国では「ナチスの政権奪取を学べ」と言った閣僚もいたような記憶がのこっている。
「ジャイアン」を学んだかのような某国の為政者の進退が問われるまであとわずか。だが、高みの見物と洒落込むようなわけにはいかない。「貧しても鈍せず」となる方策が今必要だ。
そんな時、為政者はアメとムチを使って国を支配する。ドイツ人に優遇と経済的保証と優越感というアメをばら撒き、その裏で社会的弱者とユダヤ民族に対する想像を絶する迫害というムチを振るった。異を唱えるものには反逆者のレッテルを貼り、アメで懐柔した国民による排斥を誘発した。
別にナチスドイツに限ったことではない。さんざっぱらナチスを悪の権化として叩き、コケにしたアメリカですら、社会的弱者を叩くことを抑えきれず、それを正当化する勢力が過半数を掌握したここ数年の惨状と醜態は周知の事実だ。
援助という金もアメとムチになる。物資も配給制になればアメとムチに早変わりだ。大戦中の日本であっても、検閲は紙の配給の有無が実効性を持っていたという。出版したくても紙が配給されない限り、出版不能だ。その配給を決定するのが権力側なら、十分思想への政治介入となる。
今は紙以外の媒体で思想信条を発信できる。だが、マスメディアには放送法というルールがあり、ネットも一部の稚拙なマスメディアが引き起こした嘆かわしい事件や、匿名性にあぐらをかいた不適切発言の多発をきっかけに、法規制やむなしの世論が起きている。たしかにネットでの言説やTV等の番組にはあまりに稚拙で容認しかねるような反人道的内容を散見するが、法の規制が一度かかれば「角を弛めて牛を殺す」ことになりかねない。
この国は、「法解釈」に関してはなかなかの言語力の持ち主がそろっているのだから。
金と規制は現代のアメとムチだ。そして国が貧しくなると、民主主義の機能はどうなるか。貧しくなるのはまず金、そして知性だ。
ガチパルピの「第六ポンプ」のようになるのか。
どこかの国では「ナチスの政権奪取を学べ」と言った閣僚もいたような記憶がのこっている。
「ジャイアン」を学んだかのような某国の為政者の進退が問われるまであとわずか。だが、高みの見物と洒落込むようなわけにはいかない。「貧しても鈍せず」となる方策が今必要だ。
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