ムツゴロウさんの逝去2023年04月06日 21:54

 ムツゴロウこと畑 正憲氏が亡くなった。

 動物といえばムツゴロウさん。強いイメージが昭和の子供にはあった。また一人、そういう脳裏に焼き付いた人が亡くなった。寂しい限り。

ネアゲの春2023年04月07日 21:17

 あまりに頻繁でもううんざりな気分になる「値上げ」。またこの春から大量に値上げが始まる。

 さすがにこれはまずいと、大手企業から賃金も「値上げ」が打ち出されている。だが、内部留保を溜め込んでいた大企業はともかく、大企業の内部留保に利益を吸い上げられ続けた中小企業には賃金「値上げ」とまでは行けないところもあるようだ。朝のドラマで町工場応援ドラマを打ったところで、構造的に苦しめられている中小企業の実態をなんとかしないと、舞い上がるどころか、世の中の賃上げ圧力に吹き飛ばされてしまいかねない。

 そして労働者は相次ぐ「値上げ」に「音上げ」状態だ。どこの経済学者が人件費(=賃金)を「コスト」と称してカットすべきだなどと言い始めたことやら。数十年も賃金を上げずにカットし続けて来た結果、自分の首が締め上がってしまっている。

お客様は…2023年04月08日 22:02

 「お客様は神様です」というのは、昭和の某芸能人がキャッチフレーズにして広まった言葉だ。

 これは芸能人が発するからこそ意味のある言葉であり、間違っても「客」の側が言う言葉ではない。だいたい、自分を「神様」などと自称するのは宗教のある社会なら不遜極まりないし、普通なら精神のバランスを崩した時の妄想か、安手のドラマの悪役の言い草である。だが、これを本気にしてふんぞり返っている、なんとも無様な客が少なくないらしい。「神様」を自称する人間ほどみっともないものはない。

 まあ、神様と言っても、貧乏神もいれば疫病神もいるし、死神だっている。神様を自称する客が貧乏神やら疫病神やらであるのなら、ある意味事象も間違いではないのかもしれないが。そんな嫌われ者の神様になるぐらいなら、普通の人間でいたほうが良さそうだ。

 だから声を大にしていいたい。「客は人間だ」

親苦労・子楽・孫貧乏2023年04月09日 20:40

 戦後の焼け野原(といっても都市部であって、農村部は焼けてはいないのだが)から25年かけて、戦後日本は復興して高度経済成長を成し遂げた。親苦労の時代。

 オイルショック・狂乱物価・不景気を切り抜け、バブルまで突っ走ったのがその次の20年。子楽の時代。

 それから30年、ますます孫は貧乏になっている。学生は奨学金という借金にがんじがらめ、賃金は上がらず、物価は上がる。学費も跳ね上がり、借金も増え、その返済と世帯構築、子供の学費の負担に耐えられない。多くの職場の賃金ではその支出を支えきれず、支えきれる高給の職場(大企業・優良企業)にばかり求人は殺到し、中小企業は人不足。デフレどころか、貧困スパイラルである。

 今日は統一選挙。そういうところにメスを入れる候補が多く当選してほしいものだ。

「手の倫理」を読む2023年04月10日 22:08

 「手の倫理」を読む。著者は伊藤亜紗。

 「ふれる」と「さわる」。確かに語感が違う。「ふれる」には好意的で肯定的な意味合いを感じ、「さわる」にはどことなくよそよそしく、無神経な感じがある。

 この語感の違いを手がかりに、身体接触と相互の人格の乗り入れとの関連を述べたのがこの本。「ふれる」行為は接触により互いの距離がゼロになるのではなく、マイナスとなる、つまり触れ合うと互いの存在が相互に自分の内部に入り込んでくるという考え方は面白い。

 後半は著者自身の体験からくるエピソードの比重が大きくなるが、それでもうなずける一般化がなされているように読める。

 ただ、きっかけが日本語の「ふれる」「さわる」の差異から来ているところが、著者の論の一般化をそのまま受け入れることを躊躇させる。接触を表す単語がどの言語でも日本語同様に差異を持っているのかが本文には触れられていない。現状ではあくまで「日本語」を思考の基盤に持っていることが前提の論である。妙に納得してしまうと、人類普遍の感覚なのかどうかを検証し忘れてしまいそうだが、そこは注意が必要だ。

 あくまで、日本語圏における、日本語の語彙の共通認識がある社会の中での仮説というのが現在のこの著作の位置だろう。他の言語ではもっと別の考え方や、もっとラフな考え方、あるいはもっと精緻な考え方もある可能性がある。

 真面目に捉えすぎず、あくまで「へぇ」レベルでとどめておくのが現在では妥当な内容だ。間違っても「こういう認識が持てる日本語・日本人は他の文化より優れている」などというみっともない誤解はすべきではない。