「ラ・ジュテ」を観る2023年04月11日 21:50

 「ラ・ジュテ」を観る。1962年のフランス映画。監督はクリス・マルケル。

 わずか30分足らず。おまけに全編モノクロ。そしてほとんどが静止画で構成され、主人公らしい男の一人語りで進行するSF映画。宇宙船も出なければ、エイリアンも出ない。

 主人公の男は、子供の頃の記憶に強い執着を持っている。それは空港で男が撃たれたのを目撃した記憶と、一人の女性の面影の記憶。その記憶への執着が、多くの死者を出した過去へのタイムトラベル実験で彼が成功した原因だった。実験が行われたのは第三次世界大戦後の廃墟と化したパリ。

 第三次大戦直前の過去へ戻り、記憶の中の女性と出会い、恋に落ちる主人公。そして…

 テリー・ギリアムの「12モンキーズ」が、この作品からインスパイアされたという話は有名(というより、アイディアは全く同一)。ざらついたモノクロ静止画画面が不安的で危険なタイムトラベルと、執着した記憶のイメージとマッチして印象的だ。

 ただし、疲れているときには辛い映画。わかりやすいハリウッド映画のつもりでみていると難解だし、疲労が溜まっていると夢幻の世界に引きずり込まれていく。もっともそれもいいのかもしれないが。

 喧騒とキッチュさに溢れた「12モンキーズ」だが、「ラ・ジュテ」は静謐でザラッとした手触り。対照的なのも面白い。

「精神医療の現実」を読む2023年04月12日 22:23

 「精神医療の現実」を読む。岩波明著、角川新書。

 精神医学に関する言葉がマスコミや文学によって誤った形で流布するようになって久しい。また、精神医学自体も様々に変化している発展中の医学ということもあって、人口に膾炙した言葉が時代遅れになったり、古い用語が語弊のある表現となってしまっていたりと、誤解が温存されてしまう危険性もあるように思える。古くは「ロマンティックな狂気は存在するか」(1993年)で、文学における「狂気」がいかに無理解な使われ方をしているかが指摘されていた。

 この本では「脳科学」というものが実はかなり曖昧なものであることが触れられている。確かに「脳科学」を専攻とする学部・学科は存在していない。だから「脳科学」は怪しいというのはやや先走りの感もあるが、いずれにしても体型付けられた科学になりえていないということは確かだ。「ゲーム脳」「スマホ脳」などというトンデモ科学や、携帯を使うと電波で脳が破壊されるというまことしやかな都市伝説も、まことしやかに「脳科学」というラベルを貼ってしまえば広まってしまう。冷静に考えればおかしいことなのだが、「科学」という言葉が無意識のうちに権威付けとして機能してしまうようだ。「ゲーム脳」があるのなら、「パチンコ脳」がないのはなぜか。視覚情報の目まぐるしさは似たりよったりである。「スマホ脳」もまた然り。頭の近くの電波が悪いというのなら、20世紀以降電波まみれのこの世界に住む人類は、世代を追うごとに大なり小なり脳容量が減少していくはずである。

 他にも「アダルト・チルドレン」や最近は聞かなくなった「新型うつ病」、乱用される「PTSD」などの言葉についてもその曖昧さや誤用についての指摘がなされている。完全否定ではなく、是々非々の立場での主張には信頼性がある。

 著者のスタンスから、過去の精神医療に対する否定的な言説に強めの表現があるのは当然だろう。それを割り引いても、冷静に考えれば著者の指摘した精神医療・精神医学とその受容のあり方が孕む問題点はもっともなものだ。途上の学問分野である精神医学には、我々も不断の学習が求められている。

不思議な話2023年04月14日 23:26

 コロナ禍も扱いが変わり、宴会もそろそろ再開され始めた今日この頃。

 宴会で飲んだ酒はそうそう回ってしまうことはない。ところが自分の家でリラックスして飲んだときの酔いっぷりはかなり強い。眠気も強い。

 この違い、どこからなのだろうか?

また首相が…2023年04月15日 22:12

 また首相が狙われるという事件が起きた。今回は事なきを得たが。

 犯人を弁護する気はかけらもない。他人の命を狙う人間は、どんな人間の命も狙う。それを正当化する屁理屈など、いくらでも作ることができる。屁理屈や妄想でも他人の命を奪う凶行を正当化する言い訳には十分だ。国家レベルですらそういうことを今までも、そして今でもやっているのだから。

 だが、そういう屁理屈や妄想も、何もないところから生まれはしない。それほど国民の中に不満・不安・恐怖が渦巻いていることもまた確かだ。

 経済的な不安、特に子供を産み、育て、社会に出すまでのコストに対する不安。そして老後の不安はもはや絶望に近いものにもなっている。2000万などという老後資金を、どれだけの国民が確保できているというのだろうか。他にも急速なIT化の弊害としての「デジタル棄民」問題、ますますひどくなる「買い物難民」(宅配やネットスーパーは地方には手薄い)。高齢者の公共移動手段整備の不足からくる高齢者ドライバーの増加と事故率の上昇。どれも個人の手には負えず、いまのところ政治は無策という印象が広がっている。投票率が上がらないのは、「誰がやっても今までの(だめな)状態は変わらない」という諦めと恨みが原因のひとつだろう。(立候補のときの供託金が高額すぎて準備できず、新しい候補者が出てこないという現実もある)。

 警備の問題もあるだろう。平和ボケしていたという経緯もあるだろう。だが、武器や危険物を用意するほどの状態に人を追い込む社会も同時になんとかせねばならない。

何が軽いのか…2023年04月16日 21:09

 また政治家のくだらない発言が取り沙汰されている。女性の容姿や男性の容姿がいったい政治となんの関係があるというのだろうか。顔で政治ができるなら、福笑いか仮面ライダーにさせておけばよかろう。

 政治家が軽くていいのは「腰」ぐらいのものだ。口の軽さは知性の軽さ(いや、知に「やまいだれ」が付く分重いか?)の現れでもある。

 ユーモアと暴言とは対極の存在だ。ウケを狙うのは芸人に任せておけばよい。アトラクションでマリオの扮装をするのは洒落のうちに収まるだろうが、政治家が国民に対して男尊女卑のこびりついた賞味期限切れのネタでウケを狙うようでは世も末だ。フジテレビが旧作回顧番組でバッシングを受けたのも知らなかったのだろうか。第一ネタの賞味期限が切れたのも知らないのは不勉強の極み。おそろしくてそんな人物にいまの社会を任せられない。

 昭和は終わったのだ。平成も終わったのだ。オヤジ天国も終わったのだ。