「ぜんぶ本の話」読了2020年08月12日 22:06

 池澤夏樹・池澤春菜著「ぜんぶ本の話」を読了。

 著、と明記するのは少々ためらいがある。芥川賞作家であり、世界文学全集・日本文学全集を個人セレクションで世に送った父、池澤夏樹と、SF・ミステリをコアにしつつ、幅広く膨大な読書量を誇るその娘、池澤春菜の親子の、本を巡る対談。

 初めて読んだ本の記憶から始まる児童書、二人ともに日本人の著した古典的童話が苦手で翻訳ものに傾倒する。父は「赤毛のアン」が苦手と告白、娘はミリタリーSFが苦手と告白。苦手なジャンルも腹蔵なく語り合う二人に、うなずいたり首を傾げたり…それがなんとも楽しい。そして二人の話は次第に父であり祖父である福永武彦へと言及していく…

 親子三代がともに絶妙なのはその距離感だろう。つかず離れず、その間合いが素晴らしい。離婚してともに暮らすことのない息子に、定期的に「世界文学全集」を送っていた福永、福永の存命中は小説を書くまいと思い、名字が違うことで父の影から距離をおき、更に日本文学の社会からも距離をおき、SFやミステリの蔵書を蓄え、娘にそれに自由に触れさせた夏樹、父の蔵書を乱読しながら自分の立ち位置を作り、今に至る春菜、三代の親子は互いに子供の人格を尊重し、支配するでもなく、支配されるでもなく、それでもしっかり見守り合い、尊敬し合っている。その尊敬も盲目的なものではなく、客観的に見つめつつ、是々非々の価値判断のもと、そのすべてを受け入れている。

 親子の読書遍歴であり、知の前線に立つ同士の会話でもあり、素晴らしい親子のあり方も見ることができる。娘の読みのスタンスを聞いて、「そういう読み方で今度読み直してみよう」などとさらっと言える父親の柔らかさ、しなやかさ(それは当然強さの裏返しだ)、「この人が父でよかった」とはっきり言える娘の強さ、羨ましい限りだ。

 堅苦しい本ではないし、大部でもない。しかし、フランクに本を読み、フランクに語り合う。それが親子であることがなんと幸せなことか。

「蒲公英王朝記」読了2020年07月05日 21:46

 ケン・リュウの「蒲公英王朝記」巻ノ一、巻ノ二を読了。

 神々がまだ人の世に影響を与える、いずこともしれぬ島嶼国家、ダラ諸島。ティロウ国家と呼ばれる七国が覇を争い、果てしない戦乱が続く中、北西の果ての弱小国家ザナ帝国は、マビデレを王とし、ザナでしか産出されない水素のような気体を利用した大飛行船艦隊を建造、ダラ全土をザナ帝国に大統一し、戦乱の世を平定した。だがその後の内政に失敗、自身も老い、その死の後内政は一気に腐敗、反乱が勃発する。
 その反乱の中、マビデレに滅ぼされたかつての貴族、ジンドゥ家のフィンとその甥で武勇にすぐれたマタは豪胆と力でのし上がり、遊び人だったが人を惹きつける魅力に長けたならず者のリーダー、クニ・ガルは妻の助けも借りながら、多くの人脈を手に次第に勢力をまして…

 どこかで聞いたことがある話である。そう、話の大筋は「楚漢戦争」そのもの、俗にいう「項羽と劉邦」だ。マタ・ジンドゥが項羽、クニ・ガルは劉邦。ストーリーはほぼおなじみのものだが、オリジナルを知っているのならば、その相違(例えば、マタのおじであるフィン、つまり項伯の運命や、四面楚歌の扱い、項羽の最期とマタの最期の差、そしてなにより韓信の登場!)を楽しんで読むことも一興。その違いこそがケン・リュウのスタンスを明瞭にしている。やはり「紙の動物園」や「もののあはれ」のケン・リュウはここでも健在だった。また、女性に対するスタンスも「よい狩りを」を彷彿とさせるところもある。

 若い向きにはやれ「盗作」だの「ただの焼き直し」だのと見下す人もあるだろうが、それは了見が狭いというもの。なにせ中国、大人の国である。むしろ日本では教科書で「チンプン漢文」などと敬遠され、受験科目からも捨て去られようとしているコンテンツを換骨奪胎した上で、ツボを抑え、アップデートし、ポイントはきっちり掴んでエンターテイメントとして完成させ、現代に語り継いでいることの方に注目すべきだ。こうやって伝統をつなぐ努力をするのは敬意に値する。

 そもそも「ライオン・キング」や「スター・ウォーズ」に入れあげるくせに、「ジャングル大帝」も「隠し砦の三悪人(もちろん黒澤版だ)」もろくに見ていないようでは、ケン・リュウのこの試みを笑う資格などないではないか。

 続編がすでにアメリカでは発表済らしい。舞台はこの作品の5年後のダラ諸島の設定という。今度も中国古典に準拠するのか、それともまったくオリジナルになるのか、興味はつきない。

「椿井文書」読了2020年05月17日 17:11

 中公新書、馬部隆弘著「椿井文書(つばいもんじょ)」を読了。

 サブタイトルが「日本最大級の偽文書」とある。現在の大阪、奈良、滋賀にかけて、地方部を中心に寺社の由来や家系図、地図などを大量に偽書した椿井正隆という人物がいたという。もともとは一種の歴史マニア的なところからスタートしたらしい。

 過去の歴史書の曖昧な部分に自分でツッコミを入れてみたり、なんとなくそれらしい文書を自分で作ってみたりと、まあ当初は今でいうオタク的なきっかけだったのだろうと本書にも紹介してある。

 ところが、この偽文書が地方の村の争いに加担するために作られるようになる。もちろん無料ではない。そして偽文書が「本物」らしく機能するために、その周辺の膨大な資料も偽造する必要が出てくる。自分の家に保管している古文書が破損、虫損したため、最近になって模写したという触れ込みで大量に偽文書を作り始めていく。ウソがウソを呼び、雪だるま式に偽文書が増殖していくわけだ。

 偽文書を使う側も、どことなく眉唾だと感じながら、自分に都合の良い内容なのでそのまま利用する。やがてウソが信じられるように、またはウソに合わせた利権が生まれていき、最終的には様々な(経済的、社会地位的、権力的)利権でガチガチに固められたウソは、もはやウソとわかっていても修正のしようがなくなっていく。なぜなら、ウソを修正すれば多くの損害が生まれるが、修正してもそれを上回るメリットがなくなるからだ。

 そして現代、このウソがまちおこしのアイテムとして使われ始めている。椿井文書は近畿一円を扱うが、日本全国を見てみれば、そのような眉唾文化財や眉唾名士はけっこうたくさん存在する。

 むしろ偽文書であることを把握した上で、そのようなものがどのように受容されたのかを解明するほうが建設的だという意見ももっともだ。

 ウソにウソを重ね、最後には利権まみれにして押し切る…どこかで聞いたような話である。

「『馬』が動かした日本史」読了2020年05月06日 20:53

 蒲池明弘著「『馬』が動かした日本史」を読了。

 馬が軍事力の基軸であるというのは、歴史上言うまでもないことだ。だが、馬を飼育するためには広い草原が必要であり、それは農耕社会とは相容れない。「馬」つまり軍事力は火山灰性の土地で、農耕に適さない土の上に立脚し、それが九州南部、関東一円、東北に該当するというのがこの本の提示している仮説であり、十分納得できるものとなっている。

 内容的には連想を多用したアイディアの羅列が多く、史実の裏付けが困難な仮説も見受けられる。取材で訪れた土地の描写も含め、抑制よりも饒舌であり、読者の好みが別れるところか。

 朝鮮半島よりも圧倒的多数の馬を飼育していたという日本。東北や九州南部は朝鮮半島に馬を輸出しており、それが突出した豊かさの基盤になっていたのではないかという考え方も面白かった。様々な傍証による今後の仮説立証が楽しみな本だった。

「独ソ戦」読了2020年04月29日 22:14

 大木毅著「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」を読了。

 気になっていた本の一つ。2020年の新書大賞を取ったという帯がついていたが、その手の大賞は近年濫造されているのであまり気にしてはいない。さすが老舗の岩波新書だけに、直球勝負力技一本の評価が結果として与えられただけだと思う。

 ファシスト独裁者のヒトラーがソ連に無体に攻め込み、ソ連の国民は窮地に追い込まれながらも団結してそれを打ち破ったというのが、独ソ戦に対する我々のぼんやりしたイメージだが、ポツポツとそんな甘っちょろいものではないこともわかってきた昨今、この本の意義は大きい。

 ドイツに関して、ナチス政権はドイツ人に対する優遇措置の対価として、ユダヤ人排斥、周辺国の侵略と労働力、資源の奪取を行わざるを得なかった。また、政権維持のため優遇されたドイツ人は、その特権を失わないためにもナチス政権を支持せざるを得なかった。国をあげての共犯システムがナチスの侵略を支えていたという視点は、「〇〇ファースト」の思想と通底するように思えてならない。そして、ヒトラーが自殺したあと、旧軍人たちがヒトラーに責任を転嫁しようとした結果としての歴史資料が流布し、歪んだ歴史観が蔓延してしまった。自業自得とは言え、ヒトラーも「死人に口なし」の伝で死後も悪用され、ますます「悪の権化の独裁者」のイメージが増幅されていく。

 一方、スターリンもまた独ソ戦をプロパガンダに利用し、その蔭で粛清や独裁、恐怖政治の土台を作り上げていく。こうして独ソ戦は落とし所のない泥沼の絶滅戦争へと転落し、双方ともに目を覆うほどの残虐行為を行うことになる。

 自国民を優遇するために虚飾に走り、それを支えるために他国と対立し、攻撃的行動に走る。それを正当化する理論が、攻撃をより残虐で非人道的なものにしていく。独ソ戦の基本メカニズムは現代でも、今この瞬間にも、世界中で稼働している。決して過去の遠い国の話などではない。