「キングコングの逆襲」を観る ― 2022年05月24日 17:25
「キングコングの逆襲」を観る。1967年の日本映画。
日本版キングコング映画の2作め(1作目は「キングコング対ゴジラ」)。こちらはオリジナルの「キングコング」へのオマージュ色が強い。敵も恐竜に大ウミヘビと、オリジナルのキングコングと重なる。
大きく違うのは、冒頭から登場するロボット「メカニコング」。出色の出来と言っていいだろう。これを特殊な鉱石「エレメントX」の採掘に使おうとする悪の科学者とそのスポンサーの某国工作員の暗躍が全体を通した悪役となる。悪の科学者は天本英世。こういう役ははまり役と言っていいだろう。
某国工作員は浜美枝。今の目で見てもとんでもなく美しい。「007は二度死ぬ」でのボンドガール抜擢もうなずける。キングコングが一目惚れする金髪女性(これもフォーマット通り)よりも美人ではないかとも思ってしまう。
怪獣が熱戦を吐くわけでもなく、キングコングが電撃放射をするわけでもなく、日本の怪獣映画のフォーマットからすれば地味な印象が強い。ドラマ面も当時の基準からすれば悪くはないが、それを引き立てるには特撮シーンが今ひとつ。もちろん当時としては高度な特撮なのだが、今の目で観るとチープさが目立ってしまう。それでも、浜美枝とメカニコングを見るだけでも価値はあるのではないか。
日本版キングコング映画の2作め(1作目は「キングコング対ゴジラ」)。こちらはオリジナルの「キングコング」へのオマージュ色が強い。敵も恐竜に大ウミヘビと、オリジナルのキングコングと重なる。
大きく違うのは、冒頭から登場するロボット「メカニコング」。出色の出来と言っていいだろう。これを特殊な鉱石「エレメントX」の採掘に使おうとする悪の科学者とそのスポンサーの某国工作員の暗躍が全体を通した悪役となる。悪の科学者は天本英世。こういう役ははまり役と言っていいだろう。
某国工作員は浜美枝。今の目で見てもとんでもなく美しい。「007は二度死ぬ」でのボンドガール抜擢もうなずける。キングコングが一目惚れする金髪女性(これもフォーマット通り)よりも美人ではないかとも思ってしまう。
怪獣が熱戦を吐くわけでもなく、キングコングが電撃放射をするわけでもなく、日本の怪獣映画のフォーマットからすれば地味な印象が強い。ドラマ面も当時の基準からすれば悪くはないが、それを引き立てるには特撮シーンが今ひとつ。もちろん当時としては高度な特撮なのだが、今の目で観るとチープさが目立ってしまう。それでも、浜美枝とメカニコングを見るだけでも価値はあるのではないか。
「宇宙からの暗殺者」を観る ― 2022年05月07日 16:26
「宇宙からの暗殺者」を観る。1954年のアメリカ映画。モノクロ。
まあ、50年代のアメリカのモノクロSF映画なのだから、当然といえば当然の、ツッコミどころ満載映画。巨大生物はトカゲやゴキブリの接写。エイリアンは妙ちきりんなタイツ服に意味不明の大目玉。当時のアメリカSF映画といえば、まあこんなものだったのだろう。
ちなみに1954年とは、東京をあの「ゴジラ」が暴れまわって火の海に変えた年。クオリティの差は歴然としている。「世界のツブラヤ」と尊敬されるのも当然だとつくづく思う。貧しくてもそういう遊び心と創意工夫で魅力的なコンテンツを生むのはこの国の歴史の一部だ(歌舞伎しかり、マンガしかり、アニメしかり、ゲームしかり)。だが、これが「儲かる」となるととたんに凋落してしまう(そしてそこから脱却するべくあがく)。
あがきながらしぶとく甦り、生き延びるのもこの国のお家芸か?
まあ、50年代のアメリカのモノクロSF映画なのだから、当然といえば当然の、ツッコミどころ満載映画。巨大生物はトカゲやゴキブリの接写。エイリアンは妙ちきりんなタイツ服に意味不明の大目玉。当時のアメリカSF映画といえば、まあこんなものだったのだろう。
ちなみに1954年とは、東京をあの「ゴジラ」が暴れまわって火の海に変えた年。クオリティの差は歴然としている。「世界のツブラヤ」と尊敬されるのも当然だとつくづく思う。貧しくてもそういう遊び心と創意工夫で魅力的なコンテンツを生むのはこの国の歴史の一部だ(歌舞伎しかり、マンガしかり、アニメしかり、ゲームしかり)。だが、これが「儲かる」となるととたんに凋落してしまう(そしてそこから脱却するべくあがく)。
あがきながらしぶとく甦り、生き延びるのもこの国のお家芸か?
「爆発の三つの欠片」読了 ― 2022年03月12日 22:38
チャイナ・ミエヴィルの第2短編集、「爆発の三つの欠片」を読了。
取り掛かってからずいぶん時間がかかってしまった。読めない時期もあったのだが、短編集ということもあり、途中でストーリーを忘れて再読ということはなかった。
全28の短編、シナリオ、エッセイ風文章が収められた短編集だが、どの作品もスッキリと終わったりしない。どこかおぼろで、霧の中に溶け込むような作品が多い。はっきりとすべてが語られるわけでもなく、わかりやすい結末があるわけでもない。
ホラーテイストの話も、抽象的な話も、もちろんSFも。バラエティに富んではいるが、概して歯ごたえのある作品群。読む側もそれなりのコンディションを整えてかかる必要がある。気力・体力のあるときに、再読、再再読していくことも必要だろう。
不条理、理不尽といった世界に直面させられる短編集。カビの生えた古臭い、見下される対象としてのSF小説と思って手を出すと、てひどいしっぺ返しを食らうだろう。ミエヴィルの長編はわかりやすいところがあるが、短編は彼のイメージとアイディアの奔流のようだ。うかうかすると流れにさらわれて、ズルズルと闇のなかに引きずり込まれてしまうかも。
「〈蜂〉の皇太后」「クローラー」「ゼッケン」「キープ」「ウシャギ」「馬」「デザイン」あたりが印象強い。
取り掛かってからずいぶん時間がかかってしまった。読めない時期もあったのだが、短編集ということもあり、途中でストーリーを忘れて再読ということはなかった。
全28の短編、シナリオ、エッセイ風文章が収められた短編集だが、どの作品もスッキリと終わったりしない。どこかおぼろで、霧の中に溶け込むような作品が多い。はっきりとすべてが語られるわけでもなく、わかりやすい結末があるわけでもない。
ホラーテイストの話も、抽象的な話も、もちろんSFも。バラエティに富んではいるが、概して歯ごたえのある作品群。読む側もそれなりのコンディションを整えてかかる必要がある。気力・体力のあるときに、再読、再再読していくことも必要だろう。
不条理、理不尽といった世界に直面させられる短編集。カビの生えた古臭い、見下される対象としてのSF小説と思って手を出すと、てひどいしっぺ返しを食らうだろう。ミエヴィルの長編はわかりやすいところがあるが、短編は彼のイメージとアイディアの奔流のようだ。うかうかすると流れにさらわれて、ズルズルと闇のなかに引きずり込まれてしまうかも。
「〈蜂〉の皇太后」「クローラー」「ゼッケン」「キープ」「ウシャギ」「馬」「デザイン」あたりが印象強い。
「アイアン・スカイ」を観る ― 2022年02月23日 17:39
「アイアン・スカイ」を観る。以前公開版は見ていたので、ディレクターズカット版を観た。
まあ、おバカ映画である。もっとも、最近のメジャーどころの日本映画のような「おバカ」とは程度が違う。一発芸芸人の寒々としたギャグもなければ、芸能事務所絡みのゴリ押しを勘ぐらせるようなキャストによる過剰演技もない。一言で言えば「ブラック」。それも「真っ黒」なユーモアとギャグである。評価はおしなべて高くない映画だが、昨今の日本のメジャー映画など足元にも及ばない。
ナチスが1945年から月の裏側(ダークサイド・オブ・ザ・ムーン…お約束のバカバカしい設定という雰囲気が本編からもありありと伺える言葉)に逃走し、ヘリウム3を資源としてレトロフューチャー的な「第四帝国」を築き、ゴチゴチのナチ思想で社会と教育を成立させているという設定。そこにアメリカの大統領選挙で支持率をあげようと、女性大統領が白服の宇宙飛行士と黒服の宇宙飛行士を宇宙船に乗せ、月面着陸させる。白服宇宙飛行士はナチスに発見されて射殺、黒服宇宙飛行士は捕虜にされ、ナチス本拠へ…そこでヘルメット(中は見えない)をとると、現れたのは黒人…ナチスの人種差別思想ではありえない事実に仰天するナチス上層部…
強烈な人種差別、誇大妄想、権力闘争を当然のように受け入れているナチス、その思想に純粋(すぎるほど)培養されたヒロイン、そして脱走した黒人(当初からどこか変なキャラクターだが、実は大統領選の人気取りのために宇宙飛行士に抜擢された黒人男性モデル)の絡みは笑えながらもゾッとする。このゴチゴチのナチス思想が、アメリカ大統領選挙のキャンペーンとガッチリ一致し、国民の支持率が跳ね上がるというブラックさ。ナチスはドイツ国民によって民主的に政権を掌握した事実を考えると、笑いを通り越して恐ろしくなる。
地球の各国首脳のバカさ加減もひどいが、実は各国の本音を丸出しにしているだけであり、どこかの国のウケ狙いとは全く違う。このあたりもまさに「真っ黒」。
そしてラスト…もはや漆黒である。
純粋培養ナチスの箱入り娘のヒロインが、登場した時はすこしギスっとした雰囲気なのに、ラストでナチスの実態を知り、自立し始めるとキュートなイメージに変わっていくのが面白い。
2012年の映画。アメリカの宇宙戦艦はこの年だからあの名前だったのだ…もし2021年なら、もちろん別の…あの名前に…
まあ、おバカ映画である。もっとも、最近のメジャーどころの日本映画のような「おバカ」とは程度が違う。一発芸芸人の寒々としたギャグもなければ、芸能事務所絡みのゴリ押しを勘ぐらせるようなキャストによる過剰演技もない。一言で言えば「ブラック」。それも「真っ黒」なユーモアとギャグである。評価はおしなべて高くない映画だが、昨今の日本のメジャー映画など足元にも及ばない。
ナチスが1945年から月の裏側(ダークサイド・オブ・ザ・ムーン…お約束のバカバカしい設定という雰囲気が本編からもありありと伺える言葉)に逃走し、ヘリウム3を資源としてレトロフューチャー的な「第四帝国」を築き、ゴチゴチのナチ思想で社会と教育を成立させているという設定。そこにアメリカの大統領選挙で支持率をあげようと、女性大統領が白服の宇宙飛行士と黒服の宇宙飛行士を宇宙船に乗せ、月面着陸させる。白服宇宙飛行士はナチスに発見されて射殺、黒服宇宙飛行士は捕虜にされ、ナチス本拠へ…そこでヘルメット(中は見えない)をとると、現れたのは黒人…ナチスの人種差別思想ではありえない事実に仰天するナチス上層部…
強烈な人種差別、誇大妄想、権力闘争を当然のように受け入れているナチス、その思想に純粋(すぎるほど)培養されたヒロイン、そして脱走した黒人(当初からどこか変なキャラクターだが、実は大統領選の人気取りのために宇宙飛行士に抜擢された黒人男性モデル)の絡みは笑えながらもゾッとする。このゴチゴチのナチス思想が、アメリカ大統領選挙のキャンペーンとガッチリ一致し、国民の支持率が跳ね上がるというブラックさ。ナチスはドイツ国民によって民主的に政権を掌握した事実を考えると、笑いを通り越して恐ろしくなる。
地球の各国首脳のバカさ加減もひどいが、実は各国の本音を丸出しにしているだけであり、どこかの国のウケ狙いとは全く違う。このあたりもまさに「真っ黒」。
そしてラスト…もはや漆黒である。
純粋培養ナチスの箱入り娘のヒロインが、登場した時はすこしギスっとした雰囲気なのに、ラストでナチスの実態を知り、自立し始めるとキュートなイメージに変わっていくのが面白い。
2012年の映画。アメリカの宇宙戦艦はこの年だからあの名前だったのだ…もし2021年なら、もちろん別の…あの名前に…
「クララとお日さま」読了 ― 2022年01月18日 21:19
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」を読了。
というより、ずっと前に読了していたのだが、記録するのを忘れていた。
クララは子供の友達として作られた、一世代前の型落ちアンドロイドの少女。アンドロイドにはそれぞれ個性があり、AIの学習能力でそれはさらに分化されていくようだ。クララはデフォルトで他の個体より周囲や人間を観察する機能に優れている。
そんなクララを気に入り、買い取ったのは病弱な少女。クララは販売店で、ショーウィンドウから町や人々を観察し、買い取られてからは少女の家でそれまで知ることのない家族や人々の哀しみや苦しみ、醜さや社会の歪みに直面していく。
そんなクララの動力源は太陽電池らしい。自分の活動の糧を与えてくれる「お日さま」は、クララにとって絶対の存在、いうなれば彼女の「神」のようなものだった。
画像処理の速度が重いクララは、データベースのない未知の世界では視界がピクセル化してしまうようで、詠む側のこちらもピクセル化した漠然とした世界が自然と安定した像を結ぶのを追体験しながら、クララの世界認識を把握していく。その未熟さも、斬新さも。
クララにはあの「アシモフ・コード」がインストールされているのだろうか。彼女は決して人間を恨まない。憎まない。妬まない。
だが、彼女の友達は確実に大人になる。いつしかクララは(もともとか…子供サイズなのだ)小さくなり、別れを告げなければならなくなる。クリストファー・ロビンがくまのプーさんと別れるように。買い取られた家族の誰もから愛されたクララに対して、家族が望むことができるのは「安らかに引退させてあげたい」ことだけになる。
ラストシーンの、なんと美しく、寂しいことだろう。クララの「日の名残り」は、カズオ・イシグロの作品群とたしかに通底しているように思える。
クララは、キカイダー・ジローを想起させる。切なく、寂しい。
というより、ずっと前に読了していたのだが、記録するのを忘れていた。
クララは子供の友達として作られた、一世代前の型落ちアンドロイドの少女。アンドロイドにはそれぞれ個性があり、AIの学習能力でそれはさらに分化されていくようだ。クララはデフォルトで他の個体より周囲や人間を観察する機能に優れている。
そんなクララを気に入り、買い取ったのは病弱な少女。クララは販売店で、ショーウィンドウから町や人々を観察し、買い取られてからは少女の家でそれまで知ることのない家族や人々の哀しみや苦しみ、醜さや社会の歪みに直面していく。
そんなクララの動力源は太陽電池らしい。自分の活動の糧を与えてくれる「お日さま」は、クララにとって絶対の存在、いうなれば彼女の「神」のようなものだった。
画像処理の速度が重いクララは、データベースのない未知の世界では視界がピクセル化してしまうようで、詠む側のこちらもピクセル化した漠然とした世界が自然と安定した像を結ぶのを追体験しながら、クララの世界認識を把握していく。その未熟さも、斬新さも。
クララにはあの「アシモフ・コード」がインストールされているのだろうか。彼女は決して人間を恨まない。憎まない。妬まない。
だが、彼女の友達は確実に大人になる。いつしかクララは(もともとか…子供サイズなのだ)小さくなり、別れを告げなければならなくなる。クリストファー・ロビンがくまのプーさんと別れるように。買い取られた家族の誰もから愛されたクララに対して、家族が望むことができるのは「安らかに引退させてあげたい」ことだけになる。
ラストシーンの、なんと美しく、寂しいことだろう。クララの「日の名残り」は、カズオ・イシグロの作品群とたしかに通底しているように思える。
クララは、キカイダー・ジローを想起させる。切なく、寂しい。
最近のコメント