「ラ・ラ・ランド」を観る2019年07月29日 22:04

 「ラ・ラ・ランド」を観る。

 スケジュールが合わず、劇場に足を運ぶこともできないまま放置してしまった作品だが、やっと観ることができた。ミュージカル映画だが、往年の予算大量投入型ミュージカルというわけには行かず、往年のミュージカル映画を知る観客には「現実離れ感」が不足、ミュージカル映画そのものを知らない若い観客には「荒唐無稽」という感覚を持たれるのではないかというのが、第一印象。決して悪い意味ではなく、これが現代のアメリカ映画におけるミュージカル映画のスタイルということだろう。

 ヒロイン・ミアは冷静に見ればかなりイヤな女だ。眼の前の「女優」としての自分のためには、なりふり構わず、周囲に迷惑を掛けても気にしない。よく言えば自分に正直、悪く言えば節操がない。もっとも大半の人間はそんな生き方ができないのだから、そういう人物に憧れも感じる。そういった微妙なバランスでギリギリの線でヒロインとして踏みとどまっている危うさが魅力となっている。
 相手役のセブもまた世離れした「中二病」的存在。斜陽ジャンルである(と思われている)ジャズに入れあげ、グッズを集め、古典的ジャズプレイに固執して職を失いながら、ジャズピアニストとして、いつか自分の好きなジャズを好きなだけ演奏できる店のオーナーになることを夢見ている。
 こういった二人を象徴するのが二人の車。猫も杓子も飛びついた「エコカー」であるプリウスに乗るミアと、クラシカルでアメリカンなオープンカーに乗るセブ。この二人が恋に落ちるが、この恋はどこか地に足のつかない、夢のような恋愛。ミュージカル的な要素の頂点はプラネタリウムでの二人が浮遊するシーンとなる。
 
 現実はそんな二人に情け容赦なく襲いかかる。生活のため、セブは現代風のポップなジャズのバンドに入り、成功する。目の出ないミアとの間に溝ができ、一時は破局する二人。そんな時、セブ経由でミアに大きな役のオファーが来る。実家に帰り、すっかり意気消沈したミアを叱咤するセブ。だが、ミアの成功が必ず最終的な決別になるとセブは予感している。

 そしてラストシーン。これはセブの未練そのものだろう。それを断ち切るように演奏を終えるセブ。その演奏を聞くミア。セブはミアを責めることもなく見送る。まさに痩せ我慢の「いい男」そのもの。元祖はやはり「カサブランカ」か?もっともボガードはピアノを弾かないが。

 どこか懐かしく、馴染みのある世界観と思ったら、これは「なごり雪」や「想い出がいっぱい」といった、往年のヒット曲の世界観そのものではないか。その意味で、やはりこの作品はミュージカルの王道を行っている。というより、「男はつらいよ」を地で行くか。

 娯楽として、直球ストレートなラブストーリーだ。こういう直球、潔くていい。

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