「懲罰大陸★USA」を観る2023年01月08日 23:44

 「懲罰大陸★USA」を観る。1970年のアメリカ映画。あのアメリカでわずか4日で公開が中止され、以後お蔵入り状態となったという、いわくつきのモキュメンタリー、つまりドキュメンタリー仕立てのフィクションである。

 ニクソン政権下、ベトナム戦争の泥沼にはまったアメリカが、実際に存在したが発動しなかった超法規的人権剥奪法案を大統領令で発動し、兵役忌避や反戦、反体制運動に関わるか、その周辺にいた人物を逮捕し、裁判によって長期懲役か3日間の懲罰公園での作業かを選択させる。

 この裁判というのがまさに茶番。弁護士が何を言っても却下。有罪ありきの裁判、というより魔女狩りである。おそらくその背景にはマッカーシーが強引に推進し、そして自滅したあの唾棄すべき「赤狩り」があるのだろう。今の目から見ると、裁く側の知性の低さに唖然とするが、赤狩りはまさにその世界だったし、日本だって知識も能力もない連中が「特別高等警察」と称してでたらめな暴力を恣にしていたのだから、こういう愚行は世の東西、時代を問わず共通だということだ。

 その後ニクソンはなんとも破廉恥な盗聴事件を起こしてアメリカ大統領史上最も屈辱的な退任を余儀なくされる。この作品が作成された当時、アメリカ国内は世代間、人種感の分断がこれほどまでだったのかと感じさせられる。フィクションとはいえ、火のないところに煙は立たない。いまもアメリカ社会は分断の危機にあるというが、むしろひとつのアメリカという考え方のほうが幻想だったのかもしれない。強いアメリカは言わずもがなだ。

 懲罰公園というが、警察と軍による体のいい人狩り。明らかにでっち上げの理屈で丸腰の人間を射殺し、最終課題を妨害する。3日間で生き残る者はいない。この作品では海外のマスコミが密着取材しているという設定だが、おそらくこれまでも人っ子一人あの懲罰公園から生きて出られたものはいないだろう。印象的なのは18の兵士が丸腰の市民をパニックを起こして射殺するところだ。カメラマンに詰問されてたじろぐ若い兵士に、上官らしい人間や警察官が、射殺の責任は彼にはないという理屈を吹き込み続ける。責任を転嫁できる場合、人間は命令とあらばどれほど非人間的行動を取ることができるかは科学的にも証明されている。あの18歳の兵士は権力に責任が転化できる限り、平然と殺人を犯すサイコパスへの道を転落してくのだろう。それを世の中では「成長」と呼ぶらしい。

 終盤、弁護士が引用するのは、当時のニクソンが言いそうな、そして今の政治家たちが言いそうな言葉だが、実はヒトラーの演説の一節であったというのもなかなかきつい。

 制作されて50年経つのに、世界はどれほどマシになっているのだろう。とはいえ、50年前には「不愉快だ」と抹殺されたこの作品を、今の我々は観ることができる。そして50年前とは違った意味の「不愉快」さを感じることができる。決して50年は無駄ではなかったと思いたい。そして、50年程度では人の世の闇もまた払いきれないということも肝に銘じておきたい。

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