「死刑執行人もまた死す」を観る2018年07月10日 18:00

 「死刑執行人もまた死す」を観る。監督はあの「メトロポリス」のフリッツ・ラング。制作は1943年、ナチスがヨーロッパで破竹の快進撃を続けている時期。このころ全世界はヒトラー支配下に収められるかもしれないという観測がまだ現実味をもっていた時代。

 当時のアメリカ映画のご多分にもれず、これはアンチナチスのイデオロギー映画と言わざるを得ない。だが、「カサブランカ」の例もある通り、ただイデオロギーをぶち上げるだけで受け入れてもらえるほどアメリカは甘くない。極上のエンタテインメントとイデオロギーの両立が求められる。それに成功した映画は、ナチス崩壊後もその輝きを失うことがない。この作品もそんな一本。

 もちろんクラシックな映画なので、当時の表現コードに照らして、残虐シーンやエロチックなシーン(実際にはエロチックな出来事など何もないのだが)は抑えめで、派手なアクションも煽りもないので、今のてんこ盛りジェットコースター映画しか知らない、口を開けて見ているだけの雛鳥観客には食い足りないかもしれない。だが、監督のラング自身がナチスの迫害に追われて亡命した過去を持ち、彼の元妻であるテア・フォン・ハルボウはナチス党員。彼の身体にはナチスへの恐怖と怒りが染み付いている。彼等にとって反ナチス映画は命がけの抗議であるとともに、奪われた平和で幸福な日常生活への渇望と、再起に向けての不屈の闘志の表明だったはずだ。映画人として全てをかけて作った作品の魂を感じられないとしたら、エンタテインメント中毒としか言いようがなかろう。「独裁者」を撮ったチャップリンもまたしかり。

 チェコスロバキア(作品製作時の国名)は、ナチスに蹂躙され、国民は民主政治と言論の自由を希求した。ナチス崩壊後のプラハの春は旧ソ連によって蹂躙され、チャウシェスク政権による恐怖政治にあえいだ。だが、ビロード革命で再びチェコスロバキアの国民は民主主義と言論の自由を勝ち取る。まさに"Never surrender"である。

 そして、今もまだなお、"Never surrender"は世界に通用する。

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