高齢者の低賃金労働 ― 2018年08月25日 22:55
高齢者の就労が難しいので、最低賃金を割ってかまわなくすれば、雇用が増えて福祉予算が減るという意見があるようだ。
働くことが嬉しい高齢者だから、多少実入りが少なくても喜んで働くだろうという理屈がこれを補足している。
残念ながら、嬉しく楽しい活動とは、本人にとって本質的に労働ではない。道楽である。他人が勝手に自分の都合で「労働」と称しているに過ぎない。労働であれば賃金が対価だが、道楽なら身銭を切るのが筋だ。こういう理屈が意識無意識にかかわらず、底辺にあるのだろう。
ワーカホリックというが、要するに「仕事」と称する活動が、単に本人にとって道楽となっているに過ぎない。経営者などはこれに類すると思ってまずまちがいないだろう。
世の中の人間全部が「労働」と他人が名づける活動を道楽にしていると考えるのは、あまりにおめでたい。カネを生まない道楽など、世間では白い目で見ているではないか。毎日欠勤もせず、過労死レベルを超えた時間を単純労働に費やすパチンコびたりの人間と、毎日欠勤もせず、過労死レベルを超えた時間を金儲けに費やす経営者と、本質は全く同一だ。そのどちらも道楽に成し得ない人間が付き合わされるとしたら、これは単なる苦痛だ。その代償として、責めてカネくらい払ってもらいたいものだと思うのは、どこか不自然だろうか。
企業からすれば、安上がりな労働用生命体が雇えるのなら、それに越したことはない。コストが高くなる正規雇用若年労働者など、無駄遣いにすぎない。エクスペンタブルズ・使い捨てというのは、軍事的に危険かつ機密度の高い、つまり失敗したら死んでもらったほうが都合がよいようなダーティーな仕事に従事する部隊のことをいうが、まさに低賃金で高齢者を雇用するのはこのエクスペンタブルズに通ずる話だ。そして、使い捨てに人権などを認めることは決してありえない。
人よりカネを考える心性が生み出した暴論と言えるだろう。これが資本主義(おカネが一番)の本質であり、経済学はそれにどのように歯止めをかけるかを考え、貧困からの脱却を希求したはずだ。
また、こういうことを考える連中に投票し、こういうことを平然としゃべるような連中が国を運営するようになれば、すでに民主主義など崩壊していると言っていい。経済ではなく、政治までも「資本主義」では、人という非効率的な存在は無意味だ。食って、寝て、生殖して、育児するような、企業にとって非生産的活動が存続に不可欠な生命体など、金儲けにはロスにしかならない。「民」が「人」ではなくなれば、「人」の世はなくなる。人を滅ぼすのに、核兵器もエイリアンも不要だ。
経済学が資本主義の暴走を食い止めるために模索する「豊かさ」の定義は、今もまだ瞑想し、一般に受け入れられているとは言えない。
働くことが嬉しい高齢者だから、多少実入りが少なくても喜んで働くだろうという理屈がこれを補足している。
残念ながら、嬉しく楽しい活動とは、本人にとって本質的に労働ではない。道楽である。他人が勝手に自分の都合で「労働」と称しているに過ぎない。労働であれば賃金が対価だが、道楽なら身銭を切るのが筋だ。こういう理屈が意識無意識にかかわらず、底辺にあるのだろう。
ワーカホリックというが、要するに「仕事」と称する活動が、単に本人にとって道楽となっているに過ぎない。経営者などはこれに類すると思ってまずまちがいないだろう。
世の中の人間全部が「労働」と他人が名づける活動を道楽にしていると考えるのは、あまりにおめでたい。カネを生まない道楽など、世間では白い目で見ているではないか。毎日欠勤もせず、過労死レベルを超えた時間を単純労働に費やすパチンコびたりの人間と、毎日欠勤もせず、過労死レベルを超えた時間を金儲けに費やす経営者と、本質は全く同一だ。そのどちらも道楽に成し得ない人間が付き合わされるとしたら、これは単なる苦痛だ。その代償として、責めてカネくらい払ってもらいたいものだと思うのは、どこか不自然だろうか。
企業からすれば、安上がりな労働用生命体が雇えるのなら、それに越したことはない。コストが高くなる正規雇用若年労働者など、無駄遣いにすぎない。エクスペンタブルズ・使い捨てというのは、軍事的に危険かつ機密度の高い、つまり失敗したら死んでもらったほうが都合がよいようなダーティーな仕事に従事する部隊のことをいうが、まさに低賃金で高齢者を雇用するのはこのエクスペンタブルズに通ずる話だ。そして、使い捨てに人権などを認めることは決してありえない。
人よりカネを考える心性が生み出した暴論と言えるだろう。これが資本主義(おカネが一番)の本質であり、経済学はそれにどのように歯止めをかけるかを考え、貧困からの脱却を希求したはずだ。
また、こういうことを考える連中に投票し、こういうことを平然としゃべるような連中が国を運営するようになれば、すでに民主主義など崩壊していると言っていい。経済ではなく、政治までも「資本主義」では、人という非効率的な存在は無意味だ。食って、寝て、生殖して、育児するような、企業にとって非生産的活動が存続に不可欠な生命体など、金儲けにはロスにしかならない。「民」が「人」ではなくなれば、「人」の世はなくなる。人を滅ぼすのに、核兵器もエイリアンも不要だ。
経済学が資本主義の暴走を食い止めるために模索する「豊かさ」の定義は、今もまだ瞑想し、一般に受け入れられているとは言えない。
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