「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観る2023年01月13日 21:06

 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観る。1984年、押井守監督・脚本。

 全「うる星やつら」映像作品中でも最も異色。原作の雰囲気や肌触りとはかけ離れた不穏でダークな空気が横溢しているが、無限ループする時間、時間に対する哲学的概念、永遠にすれ違いながらも、強固になり続けるという、一見矛盾したような恋愛感情。原作の根底にうごめく無意識の沼をえぐり出すような作品。久しぶりの再見で感じたのはそういう感覚だった。

 この作品では、あたるに無類の浮気者であることの奥底にある真理を独白させている。浮気は自由であることの証、そしてその自由は彼の愛情の確かさの証の代償である。ラムへの愛情が責任や惰性に陥ることをあたるは恐れ、その純粋さを保つためにラムから自由でいたい。自由意志でラムを愛し続けたいために、ラムの束縛から逃れ、浮気三昧に走るのだが、その中心には常にラムがいる。身勝手といえば身勝手だが、究極のロマンチストであり、厳格なリアリストでもある。そんな彼が夢の中の安住という「束縛」でラムを愛することを強制されることは耐えられないだろう。あたるは愛は強制ではなく自発でなければならないと考えている。まるで漱石の「こころ」の先生のようだ。

 一方ラムは、あたるや自分の周りの人びととの幸せな生活をいつまでも続けたいと願っている。あたるの愛を確かめるために、あたるを独占したい、そして平穏で楽しい日々を永遠に守りたい。たとえそれが夢であっても。サブタイトルがラムのすべてを表している。ラストの「責任取ってね」は、一見リアリストであるように思えるが、実は「ドリーマー」であるラムを的確に言い当てた一言だろう。

 原作ラストの、互いの愛情を否定し合うようでありながら、実は永遠の愛を誓っているあの裏腹な会話を、この作品はすでに具現化していると言っていいだろう。先行作品へのオマージュやシュールな演出と、原作コンテンツを自由に使いながらディープな世界を展開するのは、この後のアニメコンテンツ、とくに「クレヨンしんちゃん」劇場版などにも引き継がれている。音楽も秀逸。

 ラブコメの本当のキモである、恋愛に対する深い洞察をきちんとアニメーションの中に落とし込んだ名作であり、現代のTVにあふれかえる凡百のラブコメドラマよりも遥かに深い作品だ。

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