朝の読書とタイパ2023年03月17日 20:41

 朝の読書というやつがある。学校で毎朝本を読ませるというやつだ。悪いことではないのだが、これにカネという大人の事情が絡むととたんに変な話が出てくる。

 読書の時間は朝の10分程度らしい。当然、普通の本なら読み終わるはずもない。後を引くし、続きが気になるのは当然だし、そうならないような本など、読むのが苦痛にしかならないだろう。要するにその読者にとって「つまらない本」だ。だが、それだとその後の活動に身が入らなくて困ると考える学校や教員もいるらしい。

 そこに目をつけた出版社が、朝の読書用の、短時間で読み切れる、言ってしまえばショートショート集を売り出した。学校で読むのだからその内容も当然お行儀のよい「安心できる」内容とくる。毎日読み切りで子供もスッキリ朝の読書が終われ、教員も内容については安心という寸法だ。これが結構売れているし、学校単位でも購入しているらしい。出版社からすればウハウハものだ。おまけに文部科学省が朝の読書を推進するスポンサーになってくれているのだから、これほど美味しい商売はない。

 つまり、子供に学校で毎朝、短時間で完結する、安心できるお話を読んでスッキリする癖をつけるわけだ。読み終われば話に一区切りつけて、次の活動に切り替えができる。To be continueの否定、ショートタイムでThe Endは大歓迎。出版社も収益確保、ウィンウィンである。

 学校の授業で長編小説を扱うことなどありえない。子供は学校で短く手軽に短時間で読める「安心」で「楽しい」読書(朝の読書は世知辛い学習効果を狙うと失敗するので、遊び読書の延長)と、たいして長くもなく、いかにも大人が好みそうな答えを言っていれば○が貰えそうな「お話」を(あまり楽しくなく)読んでいる。

 これでは長いスパンで描かれた小説にトライする子供が育つとは思えない。長いお話に付き合うのはうんざりだ。手っ取り早く、早くオチを知りたいと考えるのも無理はない。

 文部科学省が2001年から朝の読書運動を取り上げてから盛んになったという。それから22年。当時の小学生は今や28歳〜34歳。昨今の時短視聴、タイパ重視の世代との重複は単なる偶然なのだろうか。