怪文書と新戦隊2023年03月06日 20:56

 国会で、旧政権が放送法の解釈を変えたとか、特定の番組に名指しで苦言を呈したとかいう内容の文書が出たということですったもんだしているらしい。

 出所に信憑性がない怪文書だという見解もあるが、だからといって偽文書である証拠もない。

 いずれにせよ問題なのは、この文書の内容を笑い飛ばすほど旧政権を信頼できないという事実。現政権もまたこの不信を完全に払拭しているとは言い切れない。

 金で候補者を絞り、経済的に苦しい地方では特定候補が延々と当選し続け、時の政権を支える。これで「投票に行きましょう」と言われても、そりゃしらけるというもの。

 放送が当てにならないと、ネット配信に目を向けてみれば、そこから当選した議員は不登院状態。これまた鼻白む。

 これでも国が動くのは、ベネディクトが「菊と刀」で指摘した日本人の特質「面従腹背」にあるのかもしれないと思うと、少々さびしい気もする。

 そんな気分を反映してか、今度の戦隊モノはいきなり「レッド」が正義を唱える独裁権力者に反乱、「悪の王者になる」と宣言する驚愕のスタート。子供番組は世のムードを先鋭化する。

H3の失敗2023年03月07日 22:07

 今度こそ本当に失敗したH3ロケット。

 とはいえ、最先端技術の粋を集めた宇宙開発技術であるロケットが、いきなり100%成功するというのは甘すぎる予測だ。宇宙はそんなに甘くないし、人間のそろばん勘定を忖度するほど自然や宇宙は人間を尊重したりしない。

 そんな中で常に想定外のトラブルに見舞われるのが最先端を行くものの宿命であり、失敗こそは次のステップを明確化し、更に高い技術力や科学研究への手がかりになるものだ。

 一部報道機関にはどうやらそういう当たり前の常識すら欠けている連中がいる。失敗はどうあっても謝罪させて断罪しないと気がすまないという、科学の「カ」の字も知らないのではないかと勘ぐってしまうような強引な誘導質問をするマスコミが存在するようだ。今どき文系理系などと馬鹿げた区別を言うのもくだらないが、世の中には「これだから文系は…」と文系非難の風潮も出てくる。自分が断罪者であるかの如き質問を投げかけて悦に入っている一部マスコミは、偉そうなことをしているつもりなのだろうが、見苦しい自殺行為はおやめいただきたい。報道の自由は公共の福祉に反しない限り保証されているが、自滅行為のために保証されているわけではない。

 今回の失敗に対しては謝罪ではなく、原因の究明とその解消に全力を上げてほしい。どうしても謝罪したいのなら、今回が最初で最後の「失敗」にすることが最高の謝罪となる。低次元のバッシングで引き出される謝罪など、誰のためにもなりはしない。

ついつい…2023年03月08日 21:53

 本もCDも、絶版・廃盤・品切れで入手困難になることが多い。

 そのせいでつい、目についたら買ってしまう。コロナ禍で外出を控えるようになって、そういう衝動買い的なことは減ったが(おかげで小遣いは若干節約になったが)、気がつけば本は積読。CDも同様。人生の残り時間全部を費やしても読み切れ、聞ききれるかどうか。

 配信やダウンロードが広まった今、少しずつ「物」としての購入は減っているが、やはり物理的な「形」のあるなしは所有の喜びが違う。

 終活や断舎利は一体いつのことになるのやら…

文系・理系2023年03月09日 21:34

 いまだに文系・理系などという言葉が跋扈している。バカバカしいと言われて久しいが、消える予兆はない。消してしまうべきだという意見は大きいのだが。

 文系・理系の分断の最たるものは数学の学力差にあるのは、多くの人の経験でも裏付けられるだろう。数学がダメなら文系、数学が嫌いだから文系という選択パターンは王道だ。例外は経済学部か。それでも入試には対応できなくはない。就職も文系を選ぶケースが多い。数学と物理が科目負担という観点から回避されるのだろう。

 一方で、国語が嫌いだから理系というのはそんなに強い誘因だろうか。数学ほどの致命的格差はなさそうだ。以前は英語がダメだから理系ということもあったようだが、コンピュータなしでは夜も日も暮れない理学・工学分野では英語なしでは立ち行かない。

 受験対策という近視眼的視野に立てば、文系・理系の受験前科目を学ばせるのが至難の業ということもわかる。物理的に授業時間が足りない。昨今の主体的学習というやつは、定着度は高いが学習時間は更に必要。

 しかし、かつて小松左京が「文学の言葉で語れる理系、理系の知識を身につけた文系が少なすぎる。この分断は大きな問題だ」というような趣旨の発言をしたことを思い出す。今まさに大きな問題となっているのがこのことだ。

 第二次大戦の時、桃太郎がゼロ戦に乗って戦うアニメを作るのがやっとだった日本、同じ頃、アメリカではキヨスク(今で言えば日本のコンビニか)でアメリカ人が立ち読みしていたのは、慣性質量中立化装置による超光速で銀河を駆け巡るスペースオペラだった。国民の科学に対するリテラシーの高さを見せつけられるような事実だが、今の日本は果たしでどうだろうか。チバシティでサイバースペースにジャックインするカウボーイの話をどれだけの日本人が知っているだろう。フィクションに追い越され、捨て去られた国と化してしまうのでは、あまりに寂しい。

ライブと録音は別物だ2023年03月10日 23:16

 ライブで聴く音楽と録音とは別物だ。

 ライブにある生々しさを求めるには限界があるのは確かなのが録音。だが、ライブでは聞き取れない楽器の鳴りっぷりや定位は録音のほうが軍配が上がる。

 どちらがいい悪いではなく、全くコンセプトの違う2つのバージョンがあると思えばいい。そのバージョン間の差は、握手券の有無やジャケットのデザインの差異以上のものだというだけだ。

 ライブのほうが、いや録音のほうがと、どちらのほうがよりよいか、どちらのほうが今一つかという議論になりやすいが、なにもどちらか一つを選ぶ必要などあるまい。好きか嫌いかは個人の判断、それを外部に主張するならそれだけの責任を負えばよいだけのこと。

 選択肢が増え、お楽しみが増えるのだから、よほど豊かだ。どちらのほうが本物で、どちらのほうが偽物だなんていう議論ほど貧しいものはない。