スポーツ絡みの不祥事2018年08月09日 23:08

 スポーツ絡みの不祥事が相次いでいる。

 自分の行為がどのようなものか、満足に認識できない(明確な支持をしているのにしていないと強弁し、証拠をつきつけられるとそんなつもりはなかったとありえない言い訳を重ねる)。自分の地位や過去の実績、身体的ないしは年齢的威圧による上下関係を根拠にした完全支配と隷属を基本とする人間関係の強要(いわゆるパワハラ、性的な性格がつけ加わればセクハラ)、そのような人間関係が敷衍できるという甘い認識から生まれる強弁、責任転嫁、開き直り。自分の支配が及ばないことに対する幼児的激怒と、不正行為による恣意的支配の具現化。自己の権力誇示とその確証を求めるための必要以上の接待・待遇の有形・無形にかかわらぬ強要(平易な言い方ではこれをゆすり・たかりという)。自己の対面が毀損されることに対する過敏なまでの怒りと、半理性的及び半道徳的言動。傲岸不遜な言動。公衆の面前及び不特定多数に公開されることが明白な場での、礼を失した反対論者への罵倒(マスコミのインタビューで大声で「アホ」と罵倒語を連呼するなど)。誤ったダンディズムに陶酔した幼児的言動(やたら男を強調するが、明らかにダンディズムから逸脱した幼児的自己陶酔)。説明能力の圧倒的な欠落(弁解すら満足にできない)。

 今日に至っては、同じような精神構造でパワハラに及んだ女性まで出現。このような困ったところまで男女同権であったことも判明。

 スポーツは、社会において恣意的言動を容認する特権を付与する免罪符のようなものなのだろう。ここまでくれば、スポーツという社会的活動に内包された構造的問題と言わざるを得ないのではないか。

 そう言えば、これら困った御仁たちの性質は、どこか馴染みのあるものの様な気がする。かつての日本映画でよくお目にかかったキャラクターだ。高倉健が主演するような昔の映画によく出てきた。健さんが「お勤め」している間にのしてくる連中。健さんが「お勤め」を終えて、その存在にじっと耐えているが、最後には…

 健さんが鬼籍に入って4年。はびこってくる頃ではある。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://crowfield.asablo.jp/blog/2018/08/09/8938151/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。