カルトとスポーツ2023年03月18日 21:31

 カルト宗教の問題がクローズアップされている。

 宗教選択の能力がないうちに入信させられた(自己選択能力がない状態なので、あえて受動態で表現している)二世信者が客観的選択能力を持つようになって、自分の置かれた宗教的環境が自分自身にとって一種危険なものであると判断した時の苦痛や、宗教が教義への批判(非難でも否定でもない)を許さない性質を持っていること(まず信じること、疑わないことが前提)など、恣意的権力の行使と絶対的権力者の存在を許容するシステムが宗教には内包されている。

 この構造はスポーツにもかなり当てはまる。子供の頃から「スポーツは素晴らしい」という刷り込みを社会からおこなわれ、気がつけば地域や社会が準備したスポーツ競技に身を起き、自分が本当に好きかどうかは二の次、一度始めたら最後までやり通せと追い込んでいやいや部活動に参加し(部活動が休みになると喜ぶ生徒は少数派とは言えない)、辞めるとなると、やれチームのためだ、スポーツ推薦で進学したはずだなどと引き止め、指導者やかつての勝者には事実上絶対服従を要求する。その結果恣意的権力の行使と絶対権力者の存在の許容、そしてその権力の維持のための「指導」「可愛がり」などと称する暴力行為の容認…学校スポーツ、大学スポーツを始めとするスポーツ会で頻発する不祥事を見れば、とても否定できる状況ではないだろう。

 どちらもその根本に、絶対権力者の存在と恣意的権力の行使、それを保証するための暴力装置の完備がある。

 おや、この構造は何かとどことなく似ているような…長期政権下で隣国に侵攻し、最近逮捕状が出たあの人物の国や…異例の長期政権に突入し軍事力を増強しているあの国や…長期の一族支配のもとで軍備拡張に血道を上げているあの国や…なんとか一強と言われるあの国や…

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