地震2016年10月21日 21:54

 鳥取で大きな地震だ。

 意外なイメージもあるが、鳥取から滋賀にかけては大きな地震が起きた過去がある。未だにこの地域での大規模な地震のメカニズムは説明しきれないらしい。

 発生から時間が経つにつれて、被害の実態は明らかになってくるだろうが、被災された方の苦悩は、察するにあまりある。

 地球は100年周期で地殻変動を起こしていると言われるが、20世紀後半は異例と言ってもいいほど穏やかな時期だった。けっしてこれを基準にものを考えてはいけない。

 我々は自然のすべてを解明し尽くしたわけではない。小賢しい理屈ばかりを優先していては、自然の猛威にいともたやすく飲み込まれてしまう。やはり用心やいざという時の備えは考えておくべきだろう。

ジミー・スミス ベスト・コレクション 22016年10月22日 22:50

 新譜にちょっと浮気をしたが、やっと2枚目、後半戦を鑑賞。

 1曲めは「The Organ Grinder's Swing」、本人の声も収録されている。ジミー・スミスのオルガンがたっぷり楽しめる。2曲めは「Goldfinger」言わずとしれた007シリーズのテーマソングだ。古き良きビッグバンドサウンドに乗ったゴージャスな演奏。3曲めも名曲「Milestones」。ひたすら軽快に、快く進んでいく。A面(C面?)ラストは「Got My Mojo Workin'」。ラストは静かなフェイドアウト。B(D)面は「The Days of Wine And Roses(酒とバラの日々)」。言わずとしれた名曲。そして「Satin Doll」「St.James Infirmary」と続く、スタンダード連発サイド。

 眉間にまゆを寄せて聞くのは野暮だ。オーディオ的にどうのこうのという録音でもない(第一コンピレーションで、録音コンディションもかなりバラバラ)。ゴージャスな60年台ビッグバンドの音と、ややレトロな雰囲気にひたるのがベスト。

 少々歪み音がするのは、ディスクのコンディションの問題か、経年変化で傷んでいるカートリッジのダンパーゴムの問題か、はたまた針摩耗か(まだそこまで使い込んではいないのだが…)。アンプも含めて少々気になるところではある。

The Claymore2016年10月23日 22:00

 ウィスキー、The Claymoreを飲む。

 実売価格1000円程度のブレンデッド・スコッチ・ウィスキーとある。懐具合に優しい価格だが、味の方はというと、

 まず口に含むと甘さ、そしてバニラ・ナッツの風味。アベラワーというシングルモルトがあるが、その口当たりを彷彿とさせる。グレンリベットやグレンフィディックのような、ハチミツ感のある、さっぱりとした甘さではなく、やや濃厚な感じだ。

 ピート臭も残るが、さほど強くはない。支配的なのはバニラのような風味だ。後味にやや酸味も。

 どうしてどうして、この価格、ブレンデッドとはいえ、いい味だと思う。ベースはグラガンモアというが、グラガンモアはもう少し雑みのないクリアな味だったように思う。ブレンドしている他のモルトが重みを加えているのだろう。普段飲みには十分だと思う。

「ギャラクシー・クエスト」鑑賞2016年10月24日 22:59

 「ギャラクシー・クエスト」を鑑賞。

 言わずとしれた、「スター・トレック」のパロディコメディ。オリジナルキャストの内実の話を知っていたりすると、一層笑いのツボが増える。

 TVシリーズの役者たちが、実際にTVシリーズの世界と直結した世界に引きこまれて…という設定は、オリジナルのスター・トレックにも登場するし、オリジナル小説にも登場する。一種のメタ・フィクションを使って、二つの現実のギャップで笑わせる。

 それにしても、適度にオリジナルよりしょぼく、しかしクオリティには妥協がない。しょぼい部分は明らかにわざとそうしている。そして、ちょっぴりいい話が紛れ込むのも、コメディの定石。

 「スター・トレック」を知らない層にはアピールしがたい作品だが、まあ、日本ならウルトラマンか仮面ライダー、戦隊物あたりをパロディした感じだ。しかし、パロディだからといって妥協はない。予算も少ないだろうが、トリビュートのツボは外さない。まだまだそういう笑いは、日本ではうまくいっていないような気がする。

 「スター・トレック」が好きな人には、箸休めのような作品。

どうして景気が良くならない?2016年10月25日 22:43

 景気がなかなか良くならないらしい。

 消費マインドが低迷しているだのなんだのと言われているが、果たしてそうだろうか。

 企業は収益を上げ、体質を改善するという名のもとにリストラ、つまり人員削減に走った。構造改革という大カンフル剤は、短期間で喝を入れるようなものでなければ、痛みが増大する一方だったのに、いまだに「人間」に対してはカンフルの打ちっぱなしである。

 人件費削減のもとに、人間を記号や資産、生産システムとしてとらえ、無理無体を「根性がない」「昔はみんなそうだったんだから、お前もそうしろ」と、どこかで聞いたような精神論を振りかざして押し通そうとする。その舌の根も乾かないうちに「激しく変化する現代社会で生き残るには…」など、昔とは違うのだと言うのだから、甚だ日和見主義と言わざるを得ない。まるで第二次大戦中の日本軍の敗戦にいたる体たらくの再現である。こうして優秀なゼロ戦パイロットは次々と死んでしまった。

 記号と化した労働者は、記号と化した消費者でもある。生身の暮らしを削ぎ落とされた消費者が、なにを求めるゆとりを持つだろうか。

 給与アップは言うまでもないが、それに加えて「人間らしさ」「ゆとりのある職業人としての労働環境」も、同時に整備するべきだろう。若い時はそうして当然とばかりこき使い、異性との接触時間も満足に持てない社畜労働を正当化していながら、少子高齢化は問題だなどというのは笑止。それこそ「昔はそういうゆとりがあった」のだ。ゆとりのない貧乏な社会に、好景気などありえない。

 それとも、いまの中高年は、そういう社会的ゆとりすらないほど「貧しい」のだろうか…