秋深し ― 2016年10月14日 22:45
朝晩冷え込んできた。昼間との寒暖差も大きいが、室内でも場所によっては寒さを感じる季節になった。
体調不良となりがちな時期でもある。十分に気をつけねば。
体調不良となりがちな時期でもある。十分に気をつけねば。
ジャズ・LPレコード・コレクション2 ― 2016年10月16日 22:52
ジャズ・LPレコード・コレクションの2巻目、今度はジョン・コルトレーンのブルー・トレインだ。
前回、レコードクリーナーを乾式モードで使ったところ、懐かしい静電気バチバチ状態になって困ったので、今度はクリーニング液を注入して湿式モードでクリーニング。いい感じに静電気も起きない。
針圧も、気温が下がったので、針根本のゴムダンパーも固くなり始めているから、今までの重め設定から標準針圧に変更。
再生は問題なし。改造イコライザも順調。いい感じだ。
もちろん、レコードの内容に不足のあろうはずはない。名盤である。
前回、レコードクリーナーを乾式モードで使ったところ、懐かしい静電気バチバチ状態になって困ったので、今度はクリーニング液を注入して湿式モードでクリーニング。いい感じに静電気も起きない。
針圧も、気温が下がったので、針根本のゴムダンパーも固くなり始めているから、今までの重め設定から標準針圧に変更。
再生は問題なし。改造イコライザも順調。いい感じだ。
もちろん、レコードの内容に不足のあろうはずはない。名盤である。
YAMAHA GT-2000のアーム破損 ― 2016年10月17日 22:40
レコードプレーヤーは、YAMAHA GT-2000を使っている。ターンテーブルシートはかつてのお約束でPioneerのものに交換し、ヘッドシェルとカートリッジはaudiotechnicaにしている。
アームの高さを調節できるのだが、アーム支柱の右側に突き出している蝶ネジ状のネジつまみを回してロックをゆるめ、アーム自体をアームベース上で上下させる仕組みだ。
そのネジつまみを掴んで回すと…メシッと音がしてつまみがボッキリ折れてしまった。そのはずみで高さ調節ネジも緩み、アームは一番下の高さまで下がってしまった。
ネットで調べると、このトラブルは結構発生しているようだ。逆ねじを切って取り出すか、マイナスネジのネジ山を掘って回すか…
ものは試し、瞬間接着剤で破断面を接着してみようとしたが、アルミの軽量ダイカストでできているらしいこのネジ、破断面が接着剤を吸い込んでしまい、接着できない。
とりあえず、アームベースとアームの間にスペーサーをかまして、高さを稼いでいる。いっそこの手で調整するのもいいかもしれない。
アームの高さを調節できるのだが、アーム支柱の右側に突き出している蝶ネジ状のネジつまみを回してロックをゆるめ、アーム自体をアームベース上で上下させる仕組みだ。
そのネジつまみを掴んで回すと…メシッと音がしてつまみがボッキリ折れてしまった。そのはずみで高さ調節ネジも緩み、アームは一番下の高さまで下がってしまった。
ネットで調べると、このトラブルは結構発生しているようだ。逆ねじを切って取り出すか、マイナスネジのネジ山を掘って回すか…
ものは試し、瞬間接着剤で破断面を接着してみようとしたが、アルミの軽量ダイカストでできているらしいこのネジ、破断面が接着剤を吸い込んでしまい、接着できない。
とりあえず、アームベースとアームの間にスペーサーをかまして、高さを稼いでいる。いっそこの手で調整するのもいいかもしれない。
福祉と税収と仕事と ― 2016年10月19日 21:54
消費税引き上げが延期されてしばらく経つ。
いま消費税が上がれば、消費の冷え込みは確実だ。景気が上向いたなどというのは単なる形而上の現象であって、実態経済においては、円高による生活必需品(主に食料)の高騰とそれに伴う生活コストの上昇率と頻度に、給与所得の上昇が全く追いついていなかったのだから、実体経済では景気は回復など全くしていなかったと言っていいだろう。
だが、どう考えても、高齢化して老後の経済生活が不安になっている現代で、福祉のコストを支えるには税収をアップするしかない。経済的に豊かになった裏で、様々な生涯生活コストは跳ね上がり、やがて経済成長率が鈍ると、上昇し続けるコストに対して、収入は目減りする。豊かさの臨界点を超えて、貧困状態に転落していると言っていい。
だから、豊かだったので依存率を低くしていた女性労働力まで駆りだすはめになった。サラリーマン世帯で総中流、専業主婦と家族を男一人で養える「豊かさ」はすでに崩壊し、それ以前の、農業中心の時代の一家総出労働が求められるほど「貧しく」なったといえる。
だが、農業中心、家内制手工業や家族経営小規模工業、小規模小売業主体のかつての「貧しい」時代と、現代の「貧しい」時代には、大きなギャップがある。それは、「仕事」と「生活」が断絶してしまっているという点だ。
以前の「貧しい」時代には、生活基盤と労働基盤は非常に近い位置にあった。仕事と生活はクロスオーバーし、相互扶助によって家庭生活と仕事は緊密につながっていた。平たく言えば、仕事場に子供がいても当たり前だったし、職場集団の大人全員が子供全員の面倒を見ていた。
ところが、高度経済成長を強引にすすめるために、資本主義諸国、とりわけ日本は仕事に軍隊モードを投入した。男は職場という戦場に、家族を残して出撃し、家族は職場から遠く離れた場所で、男不在でも機能することを求められ、男は家族の存在を限りなく職場では無にすることを求められた。男ひとりの労働で家族が養える「豊かさ」は、仕事と家族を完全に分断し、「専業主婦」という銃後の守りのプロパーを生み出すことで成立した。
「貧しい」社会は、かつては仕事と生活の緊密な連携によって、生活基盤を機能させていた。それが完全に崩壊した現代で、再び「貧しい」時代が到来している。仕事が生活を無視し続ける時代は、もう終わった。
「そんな厳しいことを言うな」と、年長者の中には言うものもいる。なんと脳天気なことか。呆れ果てた楽観主義に溺れて焼け野原になったことなど、すでに戦後生まれのか、物心つく前に敗戦・戦後を送った年長者には、そんな簡単なことを学ぶ暇も能力もなかったというのだろうか。仕事という「戦争」に血道を上げて、「銃後」の生活を軽視し、疲弊し尽くした結果がこれだ。年長者の福祉が苦しくなったのは、ある意味論理的帰結、冷たく言えば自業自得だ。
だが、年長者手前の世代や、若い世代に彼らの自業自得に付き合わねばならない義理はないし、そんなことをさせるべきではない。働くすべてのものが、生活や家庭があっての仕事ということを認識しなおさねばならない。仕事のために生活が崩壊し、誰も子供を産み育てようとしないし、できない、そんな社会が生み出されるのなら、仕事は社会悪以外の何物でもなくなってしまう。子供が増えなければ、増税の見込みはなくなる。このままでは、社会は高齢者の死を望む場所となってしまう。
家族を大切になど、そんな甘いことを言っていては、社会で生き残れないという経営者諸君、そんな甘いことを言っているようでは、もう社会が存続できないのだ。甘いのは一体どちらなのか。
いま消費税が上がれば、消費の冷え込みは確実だ。景気が上向いたなどというのは単なる形而上の現象であって、実態経済においては、円高による生活必需品(主に食料)の高騰とそれに伴う生活コストの上昇率と頻度に、給与所得の上昇が全く追いついていなかったのだから、実体経済では景気は回復など全くしていなかったと言っていいだろう。
だが、どう考えても、高齢化して老後の経済生活が不安になっている現代で、福祉のコストを支えるには税収をアップするしかない。経済的に豊かになった裏で、様々な生涯生活コストは跳ね上がり、やがて経済成長率が鈍ると、上昇し続けるコストに対して、収入は目減りする。豊かさの臨界点を超えて、貧困状態に転落していると言っていい。
だから、豊かだったので依存率を低くしていた女性労働力まで駆りだすはめになった。サラリーマン世帯で総中流、専業主婦と家族を男一人で養える「豊かさ」はすでに崩壊し、それ以前の、農業中心の時代の一家総出労働が求められるほど「貧しく」なったといえる。
だが、農業中心、家内制手工業や家族経営小規模工業、小規模小売業主体のかつての「貧しい」時代と、現代の「貧しい」時代には、大きなギャップがある。それは、「仕事」と「生活」が断絶してしまっているという点だ。
以前の「貧しい」時代には、生活基盤と労働基盤は非常に近い位置にあった。仕事と生活はクロスオーバーし、相互扶助によって家庭生活と仕事は緊密につながっていた。平たく言えば、仕事場に子供がいても当たり前だったし、職場集団の大人全員が子供全員の面倒を見ていた。
ところが、高度経済成長を強引にすすめるために、資本主義諸国、とりわけ日本は仕事に軍隊モードを投入した。男は職場という戦場に、家族を残して出撃し、家族は職場から遠く離れた場所で、男不在でも機能することを求められ、男は家族の存在を限りなく職場では無にすることを求められた。男ひとりの労働で家族が養える「豊かさ」は、仕事と家族を完全に分断し、「専業主婦」という銃後の守りのプロパーを生み出すことで成立した。
「貧しい」社会は、かつては仕事と生活の緊密な連携によって、生活基盤を機能させていた。それが完全に崩壊した現代で、再び「貧しい」時代が到来している。仕事が生活を無視し続ける時代は、もう終わった。
「そんな厳しいことを言うな」と、年長者の中には言うものもいる。なんと脳天気なことか。呆れ果てた楽観主義に溺れて焼け野原になったことなど、すでに戦後生まれのか、物心つく前に敗戦・戦後を送った年長者には、そんな簡単なことを学ぶ暇も能力もなかったというのだろうか。仕事という「戦争」に血道を上げて、「銃後」の生活を軽視し、疲弊し尽くした結果がこれだ。年長者の福祉が苦しくなったのは、ある意味論理的帰結、冷たく言えば自業自得だ。
だが、年長者手前の世代や、若い世代に彼らの自業自得に付き合わねばならない義理はないし、そんなことをさせるべきではない。働くすべてのものが、生活や家庭があっての仕事ということを認識しなおさねばならない。仕事のために生活が崩壊し、誰も子供を産み育てようとしないし、できない、そんな社会が生み出されるのなら、仕事は社会悪以外の何物でもなくなってしまう。子供が増えなければ、増税の見込みはなくなる。このままでは、社会は高齢者の死を望む場所となってしまう。
家族を大切になど、そんな甘いことを言っていては、社会で生き残れないという経営者諸君、そんな甘いことを言っているようでは、もう社会が存続できないのだ。甘いのは一体どちらなのか。
アメリカ大統領選挙 ― 2016年10月20日 23:02
アメリカの大統領選挙の本番が近いという。
公開討論会なるものがTVで放映されているという。今日で最後の3回めということだ。
討論というより、ただの口喧嘩だ。
おまけに、片方はお行儀が悪い。
いい年寄りが口喧嘩、ファミリードラマの呆れたギャグのような展開である。古夫婦なら微笑ましくもあろうが、とてもそんな雰囲気ではない。
人の不幸は蜜の味。こういう泥仕合は人気があるのだろうか。
他国のこととはいえ、人のふり見て我がふり直せともいう。我々も気をつけねば。
公開討論会なるものがTVで放映されているという。今日で最後の3回めということだ。
討論というより、ただの口喧嘩だ。
おまけに、片方はお行儀が悪い。
いい年寄りが口喧嘩、ファミリードラマの呆れたギャグのような展開である。古夫婦なら微笑ましくもあろうが、とてもそんな雰囲気ではない。
人の不幸は蜜の味。こういう泥仕合は人気があるのだろうか。
他国のこととはいえ、人のふり見て我がふり直せともいう。我々も気をつけねば。
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